2014年12月24日水曜日

文章で描写することの大切さ

戦後くらいまでに書かれた純文学などを読んでいると,
自分自身の文章能力と照らし合わせて,
このようには書けないと感じることがあります。

先日,この違いがどのようなライフスタイルの変化に起因するのかを考えてみたのですが,
言葉よりも率直に伝えることの出来るツールが増えたためではないかと思います。
それは,写真であり,音楽でありです。
五感を使って認識する様々な外界の物事を,
言葉を介さずに直接見せたり,聴かせたり出来るようになりました。

個々最近,スマホが普及して,
そのようなことはより簡単にできるようになりましたから,
言語を介した表現力はこれからより一層衰退していくかもしれません。
だって,心に残るような写真を見つけたら。
「すごくない」といって見せれば事足りるのですから。

スティーブン・キングは,
「ことばというものは、ものごとの重要性を減少させてしまう」と言いました。
これはその通りです。
やはり,五感に訴えかけるものは,
それを直接提示できるのならば,それに勝るものはありません。

けれども,やはり,ことばの情報量や描写力というのは大変優れていると思います。
ことばは,五感以上にその人の文化背景を反映します。
何気なく使っている言葉の中には,暗に隠されている文脈がたくさんあります。
そういったものをたくさん含んでいるから,
最終的には,写真一枚よりもその光景をつぶさにあらわしたことばの方がより一層,
情報を持っていると思います。

ことばは,異なる思考や文化背景を持っている人同士が,
意思疎通を図るための唯一の手段だと思います。
様々なツールは私たちのグローバル化を助けてくれるけれど,
結局細部の詰めは必ずことばに行き着きます。

そして,そのことばは必ずしも共通の言語である必要はないのではないかと思います,
一番には自由に使える言語があるということです。

(10分)



食事と読書のアナロジー

知的生産の技術を読み終わった。
この技術というポイントは,知的生産のみならず大変重要なポイントだと考えている。

最近感じるのは,
ある現実的な目標達成に必要なのは,
情熱と技術だということである。
情熱を努力によって燃やすことは出来ないが,
技術というのは個人の努力によって,大抵のところまで訓練できる。

よく技術あるいはスキルと言った方が良いかもしれないが,
これを才能とひとくくりにしてしまう人がいる。
確かに技術習得において,才能は重要であるけれども,
現実的な問題を対象とする場合に,
才能が必要なほどのスキルを必要とする場面はむしろ稀である。

技術を身につければ,だれでも知的生産をすることが出来るということで,
何も,高度に訓練された人のみに許された特権ではないということである。

食事と読書のアナロジー

本の中で,それについての記述が少しあった。
筆者の考えであったか,もしくは誰かの引用であったか忘れてしまったけれども。

長い距離を走る。あるいは,筋トレをする。
何れにしても,自身が飢餓状態にあったのではままならない。
栄養状態が良いことが前提である。

知的生産に関しても,トレーニングをしようとするならば,
それなりに知的栄養状態が良くないとならない。

そういった意味で,
運動には食事が必須だし,
知的活動については読書が大切なのだという意見に,
同意しました。

2014年12月22日月曜日

英語長編論文・人魚の珈琲屋

長編の論文がようやくある程度にまとまってきた。
私は英語の文章を書く時,最近は英語で考えて書くことを心がけているのだけど,
今回は長編を書くにあたって,
英語では上手く論理が構築できなかったので,
日本語で結講格子をしっかりと作ってから英訳した。
今夜以降は細部の推敲にいよいよ入る。

やはり,自由に使える母国語というのをまず構築することが,
他の言語を操る上でのマストである。
これは,2カ国語以上を操るという環境で育たなかったものの場合で,
早くから様々な国で生活する必要のあった人には当てはまらないかもしれない。
話は飛躍するが,自由に扱える言語がないうちから,
グローバルという空虚な目標の名の下に,
英語を初等教育から始めるのには断固反対である。
まったく。

今週,人魚の珈琲屋で作業するのは一週間に2度目となる。
人魚の珈琲屋でドヤ顔で仕事をするやつがうざいという批判はあるが,
その批判はまったく筋違いである。

人魚の珈琲屋やその他チェーンの珈琲店は,
家でも仕事場でもない,第三の場所を提供していることに価値がある訳で,
そういったところで,高くて甘い珈琲を買って,
ただ帰るのでは本来の価値を享受しているとは言えない。

(15分)

文章にして書き留めること

たとえ,一文であったとしても,
見たことや感じたことを,
きちんと主述のはっきりとした文章にして残しておくことは,
大変重要なことである。

従って,出来るだけ感じたことを書き記したい。

とても当たり前のことしか書いていないが,
今日このように思ったのは,
梅棹忠雄著「知的生産の技術」の一説,

自分だけにわかるつもりの,メモふうの書き方は,しないほうがいい。1年もたてば,自分でもなんのことやらわからなくなるからだ。自分というものは,時間がたてば他人とおなじだ,ということを忘れてはならない。

という言葉がひどく心に響いたからである。

たくさんの仕事を抱えていて,
私は,知的好奇心を満たす方向へ,
読書をすることで逃避している。
今週は仕事納めに向けて,やり遂げないとならないことがいくつもある。
頑張って,良い年越しをしよう。

(7分)

2014年12月19日金曜日

画策

本日は,面白そうな情報を入手したので,
協力してもらえそうな人たちに連絡した。

様々な仕事が山積しているので,
先に片付けていかないと,
また,手を出しすぎて疲弊するいつものお決まりのパターンになってしまう。

どうでも良い案件は無視しよう。

(3分)

2014年12月17日水曜日

奇抜な事

大して奇抜じゃないのだけれど,
少し違うやり方をしたら,
変わったことをするのはやめなさいと注意されてしまった。

周りに合わせるということはとても大事なことだけれど,
合わせることと合わせないことの意義とをあまり考えずに,
他人がしていることだから良いことであるとしてしまうのは,
煩わしさと引き換えにいろいろな価値を見過ごしているのではないか。

集団主義の日本の良い面もあるので
あらゆるケースで 個性を主張し続けることは求めないが,
せめて知識労働をするような人々は,
一つ一つの行動の意味について少し考えても良いはずである。

―老いて頭が固くなってしまったときのための自戒―
(5分)

年末感

今年はいつになく年末感が無い。
もうあと今年も2週間しかないというのに,
まだ11月くらいの気分である。

師走というだけあって,本当は忙しいはずなのだけど,
緩急が大変良く付いていて,
仕事と余暇のバランスは良い。
しかし,新しい事にチャレンジしようとするには,
もう少し余暇があったら良いかな。

大仕事が目の前にあるのだけど,
なかなか火がつかない。
どうしても小仕事ばかり,先に手をつけてしまい。
いつも大仕事の方が後回しになってしまう。
そろそろ,大仕事の方を本腰を入れて片付けないと,
いよいよ大変なことになってしまうよ。
取りかかりが遅くなって,挙げ句の果てに仕事の品質を落とすような事は避けたい。

そういう意味では,投稿論文というのは幾分か気楽かもしれないと思った。
ある程度 “決まり手” というのがあるから,詰将棋じゃ無いけれど,
ゴールというのはある程度見通しが付く。

もっと大きな仕事というのは,
見通しが付いても,もう少し出来るかもしれない,
というのが続いて際限なくゴールが先に延びていって,
いつになったら終わるのか分からなくなってしまう事がある。
これは,人生にも言える事でしょうか。

ともかく,大風呂敷を広げたまま仕舞わないというのは,
これは何もしなかったと同じ事です。
終わりよければ全てよし。
首尾よく始めることだけでなく,綺麗に終わることにも注意を払って,
今年一年と来年を 迎えたいものです。

(10分)

2014年12月1日月曜日

ディギン・イン・ザ・カーツ

遅きに失した感があるが,
レッドブルミュージックアカデミーの「ディギン・イン・ザ・カーツ」が素晴らしい。



全何エピソードあるのかよく知らないけれど,
私は時間を見つけつつエピソード3まで見た。

日本のゲーム音楽をまとめた話だけど,単純にゲームのBGMとしてではなく,
多くの現代のポップに影響を与えているようで,
月並みな感想ではあるが,すごい。

これらの音楽は,音楽経験の長い人たちが作っていたというよりかは,
若い人が,自由に裁量を与えられていたようである。
やはり,若い人に自由にやらせるということも大切なのだと思う。


ファミコンの思い出

私が物心着いたときにはファミコンが我が家にあって,
やり込んだスーパーマリオブラザーズは相当上手いと自負している。
次にゲーム機が来たのは小一の時,初代ゲームボーイを買ってもらったときで,
その次はプレステが来たときなので,
多くの同世代が経験している,スーファミや64を私は経験していない。

当時のゲームボーイはモノクロだし,
ゲームの複雑さで言ったら,それでもファミコンの方が上だったから,
私はよくファミコンをしていた。

だから,当時は気にもかけていなかったけど,
ファミコンの電子音というのはとても耳なじみが良いみたいである。

ディギン・イン・ザ・カーツは,ゲーム好き・音楽フリーク必聴・必視である。

2014年11月17日月曜日

TOEIC下がった残念

TOEICのスコアが,
リーディングが35上がって,
リスニングが40下がって,
5ポイント下がってしまった。

偽り無く,このくらいの実力という事ですね。
もっと伸びるよう,頑張りましょう。

2014年11月12日水曜日

無題

私の日本語力がおかしくなければ,
何ら衆院を解散するという文言は,
首相から出てきていないように思うのだけど,
なんでこんなに騒がしいの

忙しいのに,選挙とか意味不明。

2014年11月6日木曜日

割と忙しい

先週から本当に忙しくなってきた。
この忙しさは,少なくとも年内は続きそうである。

こういう,本当に首が回らないくらい忙しい時,
私はメンタルタフネスモードに入る。
具体的には,
ネガティブな言動を避け,
ミスをしても眉間にしわを寄せるような表情をせずに,

ポジティブに,
口角と頬の筋肉をあげる感じでにこやかに過ごすモードである。
これは,メンタルタフネスの表情や思考が精神に影響するという考え方に基づいている。

最近は,もうこういう忙しさを普通に乗り切れるくらいにならねばならないと思っている。
どうすれば良いのかはまだ分からないのだけど。

2014年10月21日火曜日

カメラ買ったった


私は,7年くらい前にNikonのD80を買ってずっとそれを使ってきたのだけど,
この度新しいカメラを買った。
D80は大変良いカメラで,私は普段これにパンケーキレンズを付けていた。
良い解像度で色合い良い写真が撮れるのだけど,
ちょっとした用途にはiphoneで事足りるし,
少し持ち歩きが面倒であるというのがネックであった。
だから以前からいいコンデジが あったら欲しいと思っていたのである。

また,最近は上手に写真を撮る人が増えていて,
アイデンティティが出せないというのも,
わざわざ一眼レフを持って出かける気をそぐものだった。
最近のカメラは大変性能が良くて,
シャッターを押せばそこそこの写真が撮れる。
別に私がとらなくても良い写真はごまんとあるのだ。

それでも,良い写真を撮りたいと思ったのは,
ひとえに件のプレゼン本を読んだからである。
良い,解像度の高い写真をスクリーン目一杯に出すのは,
シンプルな割に,非常にインパクトが大きい。
しかし,私はそういうのに手頃な写真を持ち合わせては居なかった。

これはプレゼンに使える!という写真に時折出会うことがこれまでもあったけれど,
そういった時は大抵カメラを持っていなかったし,
その時折のためにカメラを持ち歩くのは,
ミニマムな思想が染み付いてしまった私にはひどく骨のおれることなのだ。

陰翳礼賛



文豪 谷崎潤一郎は,日本,アジアの美と言うのは陰の部分に宿ると,
著書「陰翳礼賛」の中で説いた。
私も,日本で育った身であるから,
そういった感覚はよくわかる。

古い日本家屋の台所とか,
寺院の中とか,
外から屋内へ入ってみると,
たとえ昼間であっても,驚くほど暗いのである。
そういった暗い中において,
私たちの目は映し出すことが出来る,
黒ずんだ木の質感とか,
土間の重く寒い感じとかを,
私はこれまでカメラで映し出すことが出来なかった。

これは,良い質感だと思い写真を撮って,
後から見返すと,
あれ,これっぽっちだったかとがっかりするのである。
もちろんこれは,私の技量が届いていないということもあるけれども。

でもそういった,陰の部分さえも映すことの出来るカメラに出会った。

SigmaのDP2 merill

で,結局私が買ったのは,
シグマのカメラである。

恥ずかしながら最近まで,シグマはサードパーティのレンズメーカーだと思っていて,
まさかこんなに良いデジカメを作っているとは知らなかった。

直前まで,つい最近発売された,DP2 quatoroと悩んでいたのだけれど,
あっちはまだ実勢価格が10万程度するし,
一眼レフと同じ位サイズがあるようで,
候補から外れた。

このカメラの優れたところは,
レンズの緻密さもさることながら,
光を受け取る素子にあるようで,
一般のベイヤー方式と呼ばれる素子とは全く作りが違うのだということである。
ただ,欠点もあって,高感度にめっぽう弱い。

また,私は虫の写真もある程度撮っていきたいのだけど,
これは単焦点の中盤レンズを積んでいる。

完全に虫をとれる装備ではない。
RICHOのコンデジであるCXシリーズはマクロに強く,
多くの虫屋はこぞって買ったということだが,
そこをあえてRICHOのGRシリーズを買いに行くような無謀さがある。

この辺りのことは一応考えている。
DP2 はとんでもない解像度を持っているので,
遠くからの写真であっても,後で等倍すれば実用に足る。
ただ,今よりも対象物によれるに越したことは無いので,
純正のクローズアップレンズや,独自のマクロシステムを考えていきたい。

冒頭の写真は,
カメラが届いてすぐに,窓から見える建物を撮ったのだけど,
後から見返すと,その解像度にびっくりする。
多分,これは結構よい買い物。


2014年10月20日月曜日

昨晩は実に眠りが浅かった

こうやって眠れないことがたまにある。
我ながら,自分の仕事のことやキャリアパスなど,
悩みは尽きないので,
不安で夜も眠れないといった日があっても良いように思うのだが,
それはない。

自分の思考回路はよくわからないが,
悩むくらいならさっさと寝た方が生産的だと思っているのだろう。
そうやって,大事な提出物のある前日も,
ぐっすり眠れてしまうのが考えものだが。

私が眠れないときは,
たいてい興奮しすぎてしまっているときである。
幼少時代,遠足の前などはわくわくして眠れなかったものだが,
そのような感じで妄想しすぎて眠れなくなってしまう。
これから起こるであろう,成功体験を妄想し,
加えて首尾よくいった場合の不安点などを考えて少し不安になるという不思議な状態だ。
もしもその不安点の解消法も見つかると,
さらにその先の妄想をして,ますます興奮してしまう。
ちなみにこの興奮にはエロティックなものは全く含まれていない。

昨晩は,うまく行く場合行かない場合の分岐点の3層先まで行ってしまい,
しまいには頭を冷やすために起きて,
ピンボールをしてからもう一度寝床に付いた。
ハイスコアが出た。


こういうハイな状態になってしまったことの原因として,
中煎りのコーヒーを久しぶりに飲んだことを考えているのだけど,
下記の自然に対して熱い思いで書かれた本を読んでしまったことも原因かもしれない。


裏山の奇人



ニコニコ学会等での研究発表やその他業績から,
昆虫界隈では知らない人は居ないこの方だが,
本書には生い立ち,研究哲学,研究についてが書かれていて,とても面白かった。
特にどのような思いで,研究論文を書いているのかという点は,
個人の研究に対する思いが出ていてやはり面白い。
こういう人を見ると,やはりもっと私も多作になるべきかと考える。

それにしてもフィールドの生物学シリーズは,
これまで非常に個性的な研究者にスポットを当てていて,
本当に驚きである。
研究者はたいていよく教育された人たちなので,
みなそれぞれに節目節目で様々なことを 考察し,
それを記憶し,伝える文章能力を有していると思うけれども,
それにしてもとりわけ面白い人を集めてくる。

どれも結構,研究についてしっかりとデータを添えて書かれているけれど,
一般の人にも分かりやすく工夫されていて感心する。

著者はいずれも,30代前半の若手であるけれど,
私がその年齢に達したときに,このような濃密な物語を語ることが出来るのか,
頑張りたいところである。



2014年10月15日水曜日

入力の重要性

ここのところ,何かと忙しかったのだけれど,
どちらかと言えば調子がいい。
この理由を私は,継続的に知的な入力(読書)が出来たおかげだと思っている。

何かを読んでいると,結果的に読まない何かをする時間は減るのだけど,
何もしないでいたときの一定時間と,
読んだ後の一定時間では,
後者の方が頭がクリアーで,
よく思いつき,
生産性が上がる気がする。

やはり,読むということは,
知的生産の上では,基礎体力を付けるようなもので,
前々から多分何度も,そういうことを書いていると思うのだけど,
今日もそう思った。

最近は日本語の文章の読解はずいぶんとスピーディーに出来るようになって,
とても良い。
問題は英語の文章で,やはり,重要な点もくまなく読もうとすると,
スピードは遅くなってしまう。
以前よりは早くなっているけれど。


ピンボール

先日,1973年のピンボールを読んだ。


位置づけとしては,風の歌を聴けの続編的であるようで,
僕や鼠の話である。
これと,あと村上春樹のもう一作で三部作であるようだが,
ふと登場する直子や,
双子がビートルズのラバーソウルをかけようとするとひどく動揺する辺り,
ノルウェイの森との関連性を感じる。
ノルウェイの森は,ラバーソウル収録の一曲である。

それにしても,ピンボールに出てくる,スペイン語を大学で教えている人が,
自分の職業を評した言葉,
「砂漠に水を撒くような仕事です」
というのはなかなか言い得て妙であった。

学生が,最低限の労力で単位を取ろうと考えているところに,
いくら力を注ごうとも,砂漠に水をやるようなものかもしれない。

とはいえ,なぜ,知的好奇心の沸き起こらない,
砂漠のようになってしまったのかは,
教育者はよく考えねばならない。



2014年10月8日水曜日

修行はいつまでするべきか

桃栗三年柿八年
あるいは,石の上にも三年。

日本では古くから,何かを成し遂げる前には,
その前の地道な努力が奨励されてきた訳です。

これに対して,異論は無いのですが,
ここのところの疑問は,では一体何年修行したら,
実践に移るべきかということです。

上記のことわざが詠まれた時代とは,
システムが違うのに,
修業期間ばかりが延びていて,それが推奨されているように思います。
勧められるがままにやれば,年齢は30を過ぎます。

自らは,修行の身ですが,
これからの目的や期間,必要性をよく考えねばなりません。
もちろん修行すれば今以上の力がつくことは確かですが,
それが無いと本当にやっていけないのか,型稽古をやりすぎて,
型稽古だけの人間になってしまうのではないかという不安があります。

安易な修行が足りない論や,海外へ行っとけば良い論に流されては,
本当にやりたいことをないがしろにしてしまうと思いました。



2014年9月29日月曜日

論文投稿,来客,英語プレゼン

先週から今日にかけてずいぶん忙しかった。
先週は,懸案だった論文が英文校閲から帰ってきて無事投稿を完了した。
今回は,今までになく,discussionにこだわっている。
これまでのように,結果に基づく事実だけでなく,
結果から予想されるさまざまな事柄を,推論を含めて議論した。

これまでは出来なかったことだけれど,議論を限定的にすることや,
断定を回避する言い回し等を使って,
自分の主張をオーバーディスカッションにならないギリギリのところまで,
述べるということに挑戦できた。
まだまだである。


来客

今度はフィリピンからの来客があり,対応した。
2ヶ月日本に滞在するそうだが,感じのいい青年である。
期間中のお世話は私がする。
新しいいい結果を出してほしい。


英語のプレゼン

短時間ではあるが,頼まれて,シンポジウムで話すこととなった。
私は日本語のプレゼンのときには,ある程度ストーリーと,
キーワードを頭の中に埋めておいて,
原稿は作らないでその場で考えて発表するけれど,英語ではそれが出来ない。

が,いつまでも原稿を用意した英語プレゼンばかりしていては進歩が無いので,
今回は出来るだけその場で考えて話せるように練習した。

また,逐一発表内容をスライドに書き込めば良いものを,
後述のプレゼン本に傾倒した結果,
非常にビジュアルを重視した発表となった。

発表はのっけから,話したいことが飛んで大変だったが,
後半は経験でなんとか持ち直した。本当に大変であった。
発表の善し悪しは別にして,
一応のところ自分の課したハードルはギリギリで越えられた。
良かった。


気になっていたプレゼン本

前々から,気になっていたのだけど,
ついに読んだ。

結論から言えばとても良かった。
しかし,この本を,所謂プレゼンのテクニック本として読んではいけない。
内容のほとんどは,如何にプレゼンというものを考えるべきかという,
いわば哲学本である。
非常に良い。

哲学も良かったが,
私がもう一つ心に残ったのは,
プレゼンをする時
「いつでも最高の準備ができているとは限らない」という指摘である。
プレゼン本を見ると,たいてい,
少なくとも1ヶ月前には準備をして,練習を始めるべきだとか,
理想的にはそうだけれども,仕事を多数抱えている際には現実的でない記述がよくある。

その点,この本は,確か,
準備不足であっても,準備不足に見せない 振る舞い等が書かれていて,良い。

ちなみにこれは図書館で借りて読んだのだけど,
隣に

の原著である,the naked presenterがあって,
衝動借りした。

内容は,かなり,presentation zenと似かよるが,
こちらは姑息な小手先の技術にこだわらず,
裸一貫でプレゼンをやり抜く哲学が描かれていて,良かった。
英語の原著で,最初から最後まで読み切れた本というのは,
私にとって両手で数えられるほどしか無いが,
これは可能であった。文も平易で内容も面白い。
良い。

ということです。


2014年9月22日月曜日

稲刈りなど

今年の稲刈りが終わりました。
祖父が居なくなって初めての稲刈りとなり,
どうにかうまく行くか心配だったけれど,
田をおこしたり,いつもお世話になっているおじさんの助けもあって,
思ったよりずっと早く終わったのでした。

稲刈りの機械を私が運転したのだけど,
感覚を掴んだ頃には刈り終えてしまって,
結局下手くそなままでした。
機械の操作は何度かやっているけれど,
毎年一度しか動かさないので,
かなりやらないとうまくはならないのではないだろうか。

田畑をどう維持していくかに付いては,
前々から私の懸念事項であったけれど,
祖父の不在により,その懸念は一層強まった。
私が田植えと稲刈りは申し訳程度に手伝っているが,
実際に日々の水の管理等をしているのは祖母で,
これがいつまで出来るかも分からない。

私は,
日本の農業がどうとか,
農業環境が生態系保全にどうとか,
そのようなアイデアを勉強し高めるために地元を離れたのに,
地元には帰れず,
代々守ってきた田畑も荒廃させるとなっては,
何をしにきたのか全く意味不明で,
本末転倒である。

これからのライフイベントやキャリアパス等を考えると,
なかなか難しい判断が必要だが,
自分が何に人生をかけるかを考えれば,
どのようにすべきかは自明である。

いつかは,自分の力を信じて,
一か八か攻勢をかけるしか無い。
その日のために,日々鍛錬を続けてきたつもりだが,
一人で戦えるか不安である感は否めない。


2014年9月18日木曜日

あたまの中の広がりとそれを描写する表現力と実行力

頭の中で考えているアイデアや概念や将来のこととか,
いろいろなことは日に日に広がりをみせている。

かつて考えていたことがより洗練されて具体的になったり,
もっと遠くの景色が見えてきたり,
現実感をもって捉えられたりするようになった。

しかし,それらを表現したり,
実現できるようにするには,
当然のことながら以前と同じスキルを持ってしては不可能で,
要求スキルもインフレしている。

前より,当然困難な仕事をよりスピーディーにこなせるようになった。
言うなれば,いや,言い過ぎだけれども,
常にスーパーサイヤ人でいることが普通くらいになった。
でも,敵(仕事)も成長していて,セル戦の様相を呈している。

現状の自分に満足かという問いは,結局いつになっても満たされないので,
自問しない方が良い。
今,自分のしたい仕事ができているかを確認するのが,着地点としては良い。

2014年9月12日金曜日

雑務・お笑い

今週は,海外からの客人のお世話と,
雑務が重なってなかなか忙しかった。
昨日までで,そのごたごたが一段落したので,ようやく生産活動を再開できる。


お笑い

私は一貫して,
シュール,ナンセンス,ハイコンテクスト,皮肉系のお笑いを好む。
そういった意味では,近頃,話題の日本エレキテル連合はなかなか良い線をいっている。
実は半年前くらいから,感電パラレルもサブスクライブしている。
おしゃべり未亡人朱美ちゃん3号は,
キャラ作りだけでなく起承転結もしっかりしており,
高い評価だけのことはある。

しかしながら,あれが24時間テレビに出演し,
子役の子に例の台詞を言わせるというような流れには,
少々疑問が残る。
忘れてはいけないのは,
おしゃべり未亡人朱美ちゃんは,
壊れたダッチワイフのネタであるということである。
これは,同一シリーズの仮出所妻さゆりちゃんに,
空気を入れるシーンからも明らかである。

このネタの試みは,正直かなり面白い。
人気が出るのも分かる。
が,深夜枠が妥当であろう。

これなら却って,
セックスのネタの方が良い。
セックスは人間の営みであるが,
ダッチワイフは,人間の性欲処理の,
平均値を少し越えた辺りに位置するんでは無かろうか。

とはいえ,
日本エレキテル連合に関しては適切に表現の自由を行使しているまでだし,
むしろ,これを安易に受け入れる視聴者や,
それに迎合して放送してしまう曲の方に問題があるのか。


何度も見たくなってしまうネタ

放送の枠さえ絞れば,
彼らのネタはかなり面白い。
私が気に入っているのは以下である。


ケンとクミシリーズ

ほとんど出オチなのだが,
「ナニワの,ナニワの男と女」が,耳に残る。
耳に残りやすいフレーズと,
隠喩を散りばめた内容で,
ゴールデンにも適した内容。
関西の人からは反感を買いそうである。


パラレル妖怪図鑑シリーズ



基本的にシュールで,
奇妙な習性をもつ妖怪が出てくる。
正直どうでも良いが,
そこがまた良い。


ナースのお勤めシリーズ



ナンセンスでハイコンテクストなコントである。
完全にナースのお仕事を参考にしているが,
実際にはナースでなく,風俗嬢である(どういうジャンルに属するのかはわからない)。

ナースのお仕事を見ていた世代にはドストライクで,
あーぜーくーらーという謎の名字や,
松下由樹にちょっと似てる感じが笑える。


ニジマスの精霊

これは,前にyoutubeかなにかで見たのだが,
ニジマスの精霊という口器がストロー状で,
気色悪い生物が出てくる,
シュールとナンセンスを極めた実にハイレベルなコントである。

たしか,番組ではレッドカーペットで落とされたネタか何かそんな感じで紹介されているのだけど,
そういう背景を持ってネタを見ると,
わざわざ,レッドカーペットにこのネタを持っていくこと自体,
インスタントな笑いを追求することへの,
反抗心が現れているような気がして,実に深い。
皮肉なことに,朱実ちゃんは一言セリフみたいなのが評価されてしまっている訳だが。


以上,多分考えすぎ。

2014年9月4日木曜日

SNSがむしばむ想像力

先日,日経のweb版に載っていた菊池成孔さんの記事がとても良かった。
紙面には載っていたのだろうか。

普段,新聞はipadで読んでいて,
ほとんどwebページは見ないのだけれど,
web版は1面2面...に,あまり左右されずに見出しがついていて,
新聞を読んでいたのでは拾えない情報に出会えたりして,
それはそれで価値がある。

記事の内容で私がとても共感したところが,
物事に打ち込むには、沈黙が必要で、ため込む時間がいる。なのにSNSで毎晩、毎分のようにコメントしていたら、時間なんか作れない。
というところ。

論理的に説明したいのだけど,
感覚的,経験的にしか出来ない。

ずいぶん世の中は便利になって,
情報伝達も早くなっているはずなのに,
人間の方はより賢く,創造的になっているのかという疑問は,
この辺りから来ている。

うまく説明するには,
自分の中での消化と,表現力がまだ足りないのだけれど。

2014年9月3日水曜日

福耳についての考察

ふくよかに肉のついた耳たぶを,福耳という。
これは,昔から富の象徴である。

一方,私の耳たぶは,それとはかけ離れてずいぶん貧相なのだ。
私はこのことを,物心ついた頃から少し気にしている。
巨万の富は望まないけれど,
私の耳たぶでは小金も望めないのではないか。

富の多い人は栄養状態が良いので,
実用上,一見必要に思えない耳たぶに肉のつくような人は,
金持ちであるという結果論からなっているのか,

もしくは,福耳を持つような人は,
概してふくよかで,
人相よく,
人当たりも良いから,
人が集まり,富が集まるのか,

どちらなのか分からないけれども,
少なくとも私の耳は貧相で,
今のところ富を得られそうな展望は無い。

論理的には,
耳たぶが貧相だけれども,巨万の富を得ているという人,
もしくは,福耳だけれども貧乏であるという人を見つけ出せば,
耳たぶと富との因果関係は否定できるのだけれど,
私は,産まれてこのかた出会ったことが無い。

もう一つ,私が巨万の富を得ることが出来ても,
これを否定することが出来るのだけれど,
もしかしたら,その頃には私の耳もふくよかになっているかもしれないし,
第一,やはり,今のところ,その展望は無い。



2014年9月2日火曜日

予想外に晴れた

昨日の天気予報で今日は雨だと聞いていたから,
昨日は雨のつもりで今日の準備をしたのだけれど,
起きてみたら,一転,雲一つない秋晴れである。

やられた。
気分は良いのだけれど,本当なら晴れの日にはやりたいことが 2, 3あったのだった。


予定通りを望み過ぎ

この野郎と,天気予報のせいにするのは簡単なのだけれど,
なんだか,予定通りになることを望みすぎていたのかなと反省した。

ドラマの次回予告のように,
明日の天気も予定通り来るような感覚になってしまっていて,
それは,天気予報の精度を過信し過ぎだし,
自然を甘く見過ぎかなと。
本来,とくに日本のように気象が激しいところだったら,
天気悪すぎ,もう無理,お手上げ,的な,
自然への畏怖があるだろうし,実際にあったのだと思うのだけれど。

なんだか,私は大震災を経験したはずなのに,
まだ,心のどこかで,自然とはコントロールが可能な事物のように思っている節があるようだ。
科学のゴールとして,コントロール下に置けることは,
目標とすべきなのだろうけれど,
もし,そうなったときには社会はどうなってしまうのだろうか。
もっとずっと,無機質で明日も明後日も波風の無いものになってしまいそうで怖い。
それまでに,もっとずっと,社会が成熟すれば良いのだけれど。

ともかく,こういう驕りは,自然の観察する者としては,
本来の物事を見逃す慢心につながりかねない。
あかん。

2014年9月1日月曜日

新型iPhoneが大きくなる限り,私は4sを使い続ける

新型iPhoneのモデルリークのニュースがあった。
今度のは,5sより少し大きくなって,丸みを帯びていた。
本当か知らんけど。

どうでもいいけど,
Appleはみんなが欲しいと思うようなものを作らなくていいんじゃないかと思う
顧客の声とか聴かなくていい。
スマホもpcも,もう一般ユーザーには既に十分オーバースペックだし,
あれこれ欲しいって言われる声に,いちいち答えなくていいから,
Appleのだれか今は,ジョニー・アイヴか知らんけど,
その人が毎日使いたいものを作ってくれよ。

他の会社に見劣りしないとかそんな要件はどうでもいい。
むしろ,他社のよりもずっと使いにくいところがあるかわりに,
バカみたいにすごいところがある方がいい。

容量小さいけど,小型とか,
デザインのために機能削ってるとか,
あれこれついているよりも,あれこれ削る発想が素晴らしいと思っていたのに
完全にミニマリスト的発想は淘汰されてしまったのか。残念。

まじで,なんで4sよりでかくするか謎。


2014年8月30日土曜日

行動するものを賞賛すること

もう大分たつけど,2ヶ月前に2週間アメリカに滞在していたのでした。
その時感じた,行動する者をencourageすることについて書く。

日本では,
「欧米の社会では,発言しない者は無い者と同じなのだ。」
よくいう。
誰が言ったか知らないけれど,よく聞く。

私は,これについて特別なことは感じていなくて,
ああそうなのか,私も自分の意見を持って,,,
などと月並みなことを考えていたのだけど,
滞在中に考えが変わった。

まことしやかに言われるこの話が,
周囲と本人の違いを強調させて,
自省的な変化を促す,
実に日本的な話だなと感じて,嫌だなと思ったのだ。
それは,自分の意見が表現できた方がいいけれど,
周りがどうかは関係無いじゃないか。

欧米にだって,シャイでほとんど質問とか自分の意見を言わない人だっている訳だ。
そういう人の存在は,無視されているかというとそんなことはない。
では,何が違うかというと,

自分の意見を表明した人への賞賛が全く異なるなと感じた。
質問者に対して,被質問者は大抵,
good question! と言って讃えるし,
周りの評価も上がって行く。大したこと聞いてない時もあるのに。

日本だったら,本当にいい質問であることが,求められる。
だから,わからないことを恥のように感じさせられる。
せっかく質問しているのに,
「話聞いてなかったのか?」とか,
質問者の求めるものでないとアクセプトされない感じ。最悪。

そういえば,小4の時,風邪で休んだ直後に出席した算数の授業で,
ノートに書いた答えを黒板に書いてと言われたので書いたら,
「はい,これはこの前の授業でダメと言いましたね。」
と,やられたのであった。最悪。

これまでのことをまとめると,
もしかしたら既に同様のことを論評している人がいるかもしれないけど,
日本の評価システムは実に「減点主義的」で
米国で感じたシステムは,「加点主義的」だと感じたのでした。
でも,それって,他のことも一緒かな。

なんだか,自分の主張をしないでじっとしている方が,
評価が高くなるというのはまぁいいけど,
それで全体が何もしない雰囲気になってしまうのは嫌だなと感じたのでした。

私は少なくとも,行動を起すひとに最大限の賛辞を贈り,
自らも,不得意なことだけれど、自身を表現していきたいと思う,
というまとめ。

これから大切にしたい振る舞い

年齢を重ねるにつれて,
自分が他人より秀でていることや,
どうやっても敵わないこと,
どんなに努力してももうどうしようもないことなどが,
よく分かってくる。

だから若い頃は,
自分を良く見せようと振る舞ったり,
自分の劣っていることがどうしても嫌だったりしたのだけれど,
そういうことはもうどうでも良くなってきて,
だんだんに開き直ってくる。
これをアイデンティティというのだろう。

私がやりたいこと

自分が見えてくると,
私だから出来ることと,
私には出来ないことと,
私がやりたいことと,
私がやりたくないこと,
これらの単純な組み合わせで,物事が展望できてくる。

そんな過程をへて私がこれから大切にしたいと思うこと,
つまり,出来るか出来ないかは別として私がやりたいことは,
以下のことである。

①人との対話
なるべくたくさんの,違う価値観,国籍,業種の人と話をしたい。
同じことを見ていたり扱っていても,
それぞれ持っている知識や情緒の物差しは違うから,
「確かにそうとも言えるけど,よくそんな風に考えたね。」
と思うことがたくさんある。

②物事のつまみ食い
とにかく興味の赴くままに,いろいろな物事をつまみ食いする。
それは,SNSや①や本や,
私を取り巻く全てのものが,きっかけとなるでしょう。

③物事の同化と異化
たくさんの物事に触れ合ったら,それを消化します。
消化というのは,私の中のイメージでは,
努力して出来る者ではないですね。
時間や環境が大事で,これはコントロールの出来ないプロセスである。

消化されるときは,ある時突然現れて,
ああ,そういうことだったのかと。
そうなったところで始めて,思索を巡らせます。
一番簡単な思索の巡らせ方は,比較である。
これがこうだったけど,これはどうか,
ここは似ていて,ここは異なるとか。
大きい小さいとかなんとか。

④そして,それを外なる世界へ出すということ
そうして,見つけ出したごく単純なことを,
ノートとか何かに書き出す。
最も簡単なのはこの日記です。
今書いているこれもまたそういう類いのものですね。


他に何かしたいことがあったけれど,
忘れたわ。


2014年8月29日金曜日

無題2

やはり,私は知的コンテンツの大量消費時代に産まれてしまったのです。
だから,暇なときには,
音楽を聴いたり,
テレビを見たり
雑なコラムや論評を読んで,ごく受動的に時間をつぶしてしまいます。
ゲームはあまりしないけど。


こういう時に,もっとクリエイティブなことが出来たらどんなにいいだろうと望んでいるのだけど,
怠惰な性格のせいで,すぐに後回しにしてしまいます。

仕事はきちんとします。
でも,仕事以外にもいろいろ能動的に生み出すことが出来たら,
もっとずっと素晴らしいと思っています。
大量消費時代に産まれたおかげで,
雑なコンテンツでも白日の元へ晒せるから。

ただ,やはりモチベーションの維持というのが大変です。
3年か4年くらい不定期的にこの日記を書いているけど,
よく続いたものです。

これには,始めたときからある思惑があります。
それは,怠惰という書きたくないモチベーションを,
見張られているという書かねばならないモチベーションで相殺する作戦です。

これに寄って,私の母国語圏だけでなくて,
ロシアとか(これは明らかにスパムですが)から大量アクセスがあったりするたびに,
あ,書かないと,という強迫観念に襲われて,
長年続いています。

大量の雑文放出には恥ずべきものもありますが,
思惑の検証がうまくいったことは,実りでしょう。

2014年8月28日木曜日

無題

構想はあっても,
口に出せないことはたくさんありますね。

頭で思い描いていることを,
言葉で描写できないからであったりします。

イメージを言語化するプロセスというのはとても大事で,
言語化できて始めて概念となるのだと思います。

だから,頭で分かっていると思っていても,
いざ,文章にしようと思うと,
細部に説得力が無かったり,
論理的に破綻していたりします。

頭の中ではつながっているいくつかの事象を,
言葉にしようとすることも難しいですね。
日記にしようとすると,結局その一部しかかけなかったりして,
よくあきらめます。

ん?先の2つの段落は本質的には同じことを書いているでしょうか。
こういった具合に,
思考の重複も一つの文章の中には不必要ですよね。

こういうことを整理して,
思考を洗練させていって,始めて綺麗な文,
あるいは概念になっていくと思います。

私はこういうことを一発ですらすら出来るようになりたいのだけど,
まだうまくありません。
出来るようになるには,文章をたくさん書く練習が必要です。
ただ私の面倒な性格が災いして,
そういうことをとくに日記ではやりたくありません。

だから,これは恥ずかしいな,と思う出来でも,
さっさと書いて,
後追いはせず,
新しい日記を書きます。

慌てず,腐らず,書き続けましょう。

2014年8月27日水曜日

山奥から帰ってきた

山奥というのは井川へ行ってきたのだけど,帰ってきた。
ここは,元々地盤の緩いところで,
よく道のガードレールも崩れて,
通行止めになっている。

ちょうど,広島の事故があった矢先だし,
不安だったのだけど,大丈夫だった。

前にもあったのかもしれないけれど,
鉄道の旧線がレールを残したまま,
遊歩道になっていた。

同行者の一人が,スタンドバイミーごっこが出来ると言い出し,
BGM を流し始めた。
いいアイデアだと思っていたら,一曲終わった頃に,
今度はLOLLIPOPを流し始めて,
なかなか分かっているなと感じた。
彼とはうまい酒が飲めそうである。


どこに向かっているのだろうか

ということで,最後の実習は終了した。
残念なことではあるが,
準備や移動の労力を考えると,
先の上司が大部分を支えていたのだから,
仕方が無いところもある。

哲学の無い者が,
仕事だけを引き継いだところで,
ルーチンの仕事しか出来ないだろうから。
本質を見失って,形骸化した行事となってしまうのも
悲しいので,今終わることは,終わりとしては良い。

ところで,今これが終わった代わりに,
何か情熱に裏打ちされた新しいことは始まるのだろうか。


2014年8月26日火曜日

スケッチをすることの意味

私は,中学時代の後半は部活の時間,
毎日図鑑の点描スケッチをしていました。

私の点描スケッチに大きな影響を与えたのは,
チョウの研究家である浜栄一さんです。
小学生時代から氏のフィールドノートにある点描画は凄いなと思っていたのですが,
中学の時,直接ご自宅で指導していただく機会があり,
それ以来じぶんも挑戦したのでした。

氏の点描画のすばらしいところは,
昆虫や植物など描画の対象をスケッチするだけでなく,
それらが生育する環境ごと写し取ることで,
そのセンスには,今なお私は適わないなと感じています。

氏が,先日,点描画の本を出版したということで,
献本いただき,拝読いたしました。
著書には,私が高校時代に書いたツマグロヒョウモンの絵も載せていただいてあり,
大変光栄なことでした。




さて,本題。

スケッチをこれまで何度か教えるという機会があった。
そうするとどうしても,綺麗に書こうとか,絵心が無いとか,
そう考える人が多く,いつも大変苦心しいる。

最近,よく考えるのは,スケッチをすることを意味なのだけれど,
私は,綺麗に書くことを心がけたり,
絵心を気にする必要などは全くないと考えている。

一番大切なことは,対象物をよく観察することである。

綺麗に正確に写し取りたいだけならば,
写真を撮れば良いのである。その方がずっと正確だし,
ずっと早い。

では,なぜスケッチをすると良いのか

私は,ある目的地へ車で行くことと,歩いていくことを比べると良いと考えている。

車で行くと,あっという間に目的地へ着く。そして,楽。
道程に何があったか,おおよそ覚えていて,またそこへ行くことも可能だし,
目的地でゆっくり時間が過ごせるでしょう。これはこれでグッド。

歩いて行くとする。
時間はかかるし,骨が折れる。
けれども,車で通ったときには気づかなかった裏路地を見つけたり,
道に咲く小さな花を見つけられるかもしれないし,
おされなカフェェーだって見つけられるかもしれない。

そういう発見や,発見が出来る観察力を養うのに,
スケッチが大変有効だと思う。
実際に虫を描いてみるとよくわかる。

輪郭の曲率とか,
翅の上下のプロポーションとか,
支脈がどういう風に交わっているかとか,
毛が生えている向きとか。

生態スケッチなら,どういう風に葉っぱを食べるかとか,
どんな環境にいるのかとか,
見ているけど意識していないことを,
スケッチにより認知することができる。

これらの違いというものの多くは,
生物学においては,分類の大事なポイントだったりする。
だからスケッチが大事なんです。
だから,上手でなくても,時間をかけて描ききることに意味があるのです。


まぁ,そういうことを教える側が理解していなくて,
とりあえずスケッチさせとこみたいなところがあるから,
デッサンの延長線上で捉えてしまって,
結局,絵が上手な人が良いみたいになって,
絵が嫌いな人は,もっと嫌いになるフィードバックがかかりそうですね。


2014年8月23日土曜日

雑感など

今日から,山奥へ入る実習へ行く。
ここ4年間くらい,私も手伝いで毎年行っていた実習だが,
担当者が退職する関係で今年で終わりである。


シリアで拘束された邦人について

シリアで邦人がイスラム原理主義組織に拘束された。
一時は,傭兵であるという情報が流れたが,
ネットの情報に寄ると,
過去にモデルガンショップを経営していた単なるミリヲタである可能性が濃厚のようである。

この人が,紛争地帯へ入ってしまったことは,
大変危険なことで,
我々のいる安全地帯から今回の件は自己責任であると論ずることは簡単であるが,
だからといって,一人の方の命がかかっている状況でそのように切り捨てることは,
大変複雑な心境である。

またこの件は,単純に法人が拘束されたこと以外に,
様々な政治背景を持つ人が,twitterで原理主義の一員とされる人に直接コンタクトをとったことに寄って,拘束されている本人の命が脅かされてしまっていることや,原理主義に重要な情報をチクった,チクらないの泥仕合の様相を呈しており,問題が複雑化している。


紛争地帯へ入ってしまう人も,
原理主義に直接連絡してしまう人も,
まったく平和ぼけしてしまっているのだなと感じ
(こういう感想自体もまさに平和ぼけだが),
同胞として恥も感じたのだった。

そう思っていた矢先,
今度は原理主義側が,日本語のあまりのメンションの量に,
日本語でイスラムの歴史や成り立ちを解説するページへ,
日本語で誘導を始めたというのを知り,
いやはや,丸腰の平和ぼけというのが,
実は平和をもたらす武器になるんじゃないかという,
9条信者の様な感想をもってしまった。


諸行無常では無いけれど,
こうなってしまっては,どうこうすることもできないので,
邦人も解放され,
原理主義は親日になるという斜め上の展開を祈って,
世界と簡単にはつながらない,山奥へ行こうと思います。

2014年8月22日金曜日

TOEICのスコアが上がった

私が以前TOEICを受けたのは,
4年前ぐらいであまり胸をはれる点数ではなかった。

最近,とくに英語の勉強のつもりで何かを特別に,
集中的にしていた訳ではないのだけれど,

英語論文も読んでいるし,
多少コミュニケーションもせねばならないし,
それ対策でNHKラジオ英会話も聴いているし,
先々月にはアメリカへ2週間行っていたし,
今の実力を測る意味で受けたのだった。

そうしたら,150点くらい伸びていて,
まぁ,それでも英語が出来ますと宣言できるほどのではないのだけど,
私としては嬉しかったのです。

やはり,英語に触れる時間が増えれば,
点数は伸ばせるのですね。

ということで,
次は800点を目標にもう少し,
科学論文だけでなくて,英語記事を読んだり,
したい。


バイリンガルニュース

そういえば,
ひょんなことからバイリンガルニュースというPodcastを知って,
最近聞き始めた。

英語と日本語の対話形式で様々なニュースを紹介するのだけれど,
結講,専門的な学術誌にもあたっていて単純にすごいと思う。

おそらく,英語が堪能ならば,英語のabstractというのは,
専門的な科学雑誌でも,十分にアクセス可能がな情報源になるのでしょう。
紹介されるニュースの内容は,あっさりabstractを読んだだけとは思えないけど。

英語と日本語の対話形式は,
TOEICの点数を伸ばしたりなどに有効は分からないけど,
私のような,英語のスモールトークを鍛えたいと思っている人には,
とっても有効そう。

2014年8月21日木曜日

メンタルトレーニング

2〜3ヶ月前,メンタルを鍛えるということをラジオ番組か何かで聴いた。
これは,自分を常に窮地に追い込んで,強くなるとかそういう類いのものではない。


精神をケミカル・フィジカルに考える

心理状態を,神経伝達物質の量とか,血中酸素量とか,呼吸とか,心拍数とか,
そういったフィジカル,ケミカルな視点から考えて,
最高の心理状態にするには,外的にどのようにしていけばよいかを,
場合場合で対処できるようにすることである。

これは,日本人的には,あまりなじみの無い考え方であるし,
このような考え方が出来れば,精神を病む人への偏見も少し和らぐと思うのだが,,,


私が考えていたトレーニングの問題点

さておき,やはり,メンタルを鍛えるというと,
自らを窮地に追い込むという発想になってしまう。
自分が指導者だったら,弟子に個々は踏ん張り時なのだから,少し厳しい指導をしようと思うかもしれない。

私は,どちらかといえばそういう指導を受けてきたと思うし,
自らに関しても,そのようなハードルを課すことがままある。

例えば,私はいつまでたってもプレゼンなどの前,極度に緊張する。
場数を踏まねばうまくなるとも思えないので,
誘いがあれば,受けるようにしているのだが,
その時,プレゼン前に自分にどう言い聞かせているかというと,
失敗できない,最善を尽くせ,
聴衆を感心させろ,などものすごいプレッシャーを自らにかけている。

結果的に極度に緊張する。
私は緊張するのは,慣れでどうにかなると思っていたし,
プレゼンに自信がつけば,落ち着けるものと考えていたのだけど,
いつまでたっても落ち着かない。

そこで,メンタルトレーニングのことを知って,
最近これは,自分の精神が弱いのでなくて,
直前の心理状態の作り方が悪いのだと確信した。


日々,やる気を維持するのにも役立ちそう

私は,これまで仕事の処理能力に波があった。
何かイベントがあって,直前に追い込みをすると,
それが終わった後,脱力して,何もやりたくないモードに入ってしまうのだ。

実際には,何もやらない訳にはいかないので,
仕事をするわけだけど,そういったときは,
仕事の能率は落ちるし,自分のしたい仕事のはずなのに,
仕事によって日々フラストレーションがたまるという,
悪循環にはまり込んでしまう。

毎年置きていた秋口からの,急激なやる気の減退は,
夏場の仕事し過ぎが原因なのではないかと最近思っていて,
何となく精神の恒常性を意識するようになった今年は,
いつもよりたくさん虫を飼育しているし,
抱えている課題も多いのだけど,
うまく乗り越えていけそうな印象である。

私が参考にした本は以下。
理論ともあるのだけれど,ハウツーに割く紙面が多いので,
少し退屈だけれども,それなりに納得する箇所がいくつかあって,よい。




2014年8月20日水曜日

ブラザーから借りる

私は電子書籍はhontoで買っていたのだけど,
ブラザーはkindle派らしい。

正直,どこでもそんなに変わらないと思うのだけど,
私は,hontoでよく買っていて,
ビジネス書や洋書はkindleでも買う。

ブラザーから借りたのは,
寄生獣という漫画で,
一般の評価が非常に高いのは知っていたけれど,
私は読んだことが無かった。

読んでみると,
物語の中に出てくる寄生生の生物がなぜ存在するのかや,
人間が他を思いやる気持ちがなぜ存在するかなどの哲学的な問いかけや,

タイトルでは寄生と言いつつも,
相利,片利などの共生関係を築くものも登場し,
人間に寄生するという特異な特徴を持った生物と人間との対比の中で,
人間の有する感情の特異性や,
多様なものが居る中で,生きていくということはどういうことなのかということを,
考えさせられる名著であった。
ナウシカぶりに,知的好奇心もかき立てられる漫画。




ちなみに,なぜか弟が,
漂流ネットカフェという漫画も進めて来たのだけれど,
描写のエロスやバイオレンスが私にとって胸糞が悪くなる話で,良くなかった。

読者に嫌悪感を抱かせるという意味で,
ストーリーや作画が秀逸なのだろうと思うし,
青春時代の倒錯あるいは暴力的な性的憧憬をうまく表現しているのだと思う。
成人漫画の表現としては,許容の範囲内であり,評価されるべきではある。

2014年8月19日火曜日

盆など

盆が終わりました。
すっかり,夏も終わりの様相で,ちとセンチメンタルな訳です。

いつも通り盆は,山ほど仕事を抱えて,実家に帰省したが,
結局,したのは虫の世話くらいで,
仕事は全く進まず,
後は漫画を読んだり,本を読んだりしていた。

何だか,田舎と都会では,
時間の進むスピードが異なる。
都会(というほど都会でないけれど)では,
何か手を動かしていないと罪の様な強迫観念に襲われているのだけれど,
田舎へ行くと,それが無い。
都会では社会の中で生きられるかが問われる一方,
田舎では自然の中で生きられるかが問われていることに起因するのだと,
私は分析している。
その辺りは思うところがたくさんあるのだけど,
まとめるパワーが無い。そこに割けない。


漫画「サンクチュアリ」



社会の表と裏から,日本を変えていこうとする若者二人の熱い,任侠アンド政治漫画である。
急進的思想の私とっては,読後,
謎の胸の高鳴りが起こる,
実に熱い漫画であった。

漫画の中で,いくつかの政策が立てられたりするのであるが,
それは必ずしもそれ自体が目的となっている訳ではなく,
何らかの起爆剤として,あるいは交渉の材料として用いられる場面が多々ある。
そういった謎の駆け引きを見ていると,
今ある政治のゴタゴタの舞台裏も想像かき立てられる。


2014年8月12日火曜日

新しい論文を書き始めた

論文を書き始めて,もう佳境である。
最後の,ひとまとめがどうしてもうまくいかない。
どうにか,ストーリーをさっとにまとめる力がでない。

時間がいくらあっても,出来ないときは出来ないし,
いくら追い込まれていても,ふと今なら出来ると感じるときは,馬鹿みたいにあっという間に出来てしまったりする。

出来ないときに,時間をかけて,悩んで,うまいものが出来た試しが無い。
難しい。


平行して,他の人の論文の面倒を見ているのだけど,
これを直すのは実に楽な仕事である。
これらは同じようでいて,異なる仕事をしていることに起因するのだと思う。


論文書きを家を建てることに例えるならば,
他人の論文を直すというのは,人のたてている家の
扉の立て付けが悪いから直してやるとか,
電気の配線をするとか,増築を推奨するとかそういった類いの行為である。

対して,自分が書くこととなると,
基礎から自分で建てていかねばならないということである。
自分で柱を立てないとならないし,配線も外装も内装も自力でやらねばならない。
全てに精通している達人ならばいいけれども,必ずしもそうではない。
一部は見よう見まねで人の作りを見ながらやるわけです。

とはいえ,上手でなくても書いていかないと,
うまくならないし,クビです。


話は戻って,
建築のアナロジーで私がいまどういう状態にあるかというと,
家はだいたい出来ているんだけど,
家のイメージに合う,内装が決まらないといった具合です。

試しに,他の家を何軒も見て,
良さそうなものを試しに配置してみているのだけど,
プロ端くれとして,このまま完成にしてしまう訳にはいかないので,
どのように仕上げたらいいのか思案している。


もう完全に煮詰まっているので,
関係のない本などを読んで,
リフレッシュして,
アイデアの光臨を待つ。

2014年7月29日火曜日

先週末から週始めにかけて

読んだ



研究に際して,文献を調べたり,まとめたりして,
新しい考えにたどり着こうと努めているのだけど,
環境的,精神的要因によって,
情報過多,あるいはアウトプット過多になることがままある。
そういう場合,私は神経の均衡が崩れてしまう。

思考のトレーニングあるいは,
マインドを変えることで,
これをどうにか出来るのではと考えて,本書を読んだ。

思考を... する技術について,さまざまなケースを例に書かれていて,
良いのだと思うけど,内容は,おおよそいつも頭の中でしていることだった。

ただ,ケースはビジネスの事柄から,
サッカーチームの名前を考えることなど,多岐に及んでいて,
他方面で鍛えた思考でも,異なる分野の思考に使えるのだと,励みになった。


TOEIC

今週末は,久しぶりにTOEICを受けた。
1年弱のNHK英会話と先月のアメリカ研修の成果は少しは出るのだろうか。

私は,これまで勉強は一種の娯楽としてやってきたので,
例えば,英語を勉強する目的が,読み書き話しできることというのに多少違和感がある。

英語はおそらく,ツールの一つなので,
英語が使えるようになりたいというのが目的化するのは,
理由は無いけど金槌がうまく使えるようになりたいとかそういう類いの発想で,
金槌で何がしたいのよと思ってしまう。

英語勉強法の批判がしたいのではなくて,
英語勉強するにも,もっと先の目標があると良いという話。
音楽が好きならば,音楽に関する記事を読むとか,
ツールが使えることは,視野や可能性を広げることにとても役立つのに,
ツールの習得が目的化してしまうのは大変もったいない。


実験装置

だましだまし使っていた,実験装置がとうとう壊れた。
直るかどうかなど,しばらくこれのトラブルシューティングに時間を費やすのだろうな。


2014年7月24日木曜日

夏は忙しい

いよいよ虫の飼育が忙しくなってきた。
それ以外にも,研究の書き入れ時だし,
アウトリーチである昆虫観察会も間近に迫ってきた。

こういう夏のドタバタは,
ここ数年毎年続いていて,
もうかれこれ,5年目になると思うのだけど,
今年が一番落ち着いている。

いつもは,
とにかく大きく,色々なことを旗揚げしすぎてしまって,
どうにか沈まないように,
“乗り切る”という印象が強いのだけど,
今年は,仕事をある程度コントロールして(余計な雑用は受け入れずに),
うまく割り切れている。

これは良い流れである。

うまく,良い流れを生かして,
新規のアイデアを紡ぎだしたい。
あと新しいことに挑戦したい。

そのためには余計なチャンネルは,
出来るだけ遮断しておいたほうがいい。

2014年7月23日水曜日

チョウバエの幼虫が大量発生して実に不快

以前のチョウバエ一網打尽作戦の甲斐無く,
チョウバエの幼虫が風呂場に大量発生している。

イトミミズを黒くして,
長さをずいぶん縮めた様なそれは,
一匹や二匹なら何とも思わないけど,
何匹も出てくるとさすがの私も戦意喪失する。

これまで,
石けんや塩素系漂白スプレーを試したものの,
劇的な効果はない。

強いて言えば,熱湯を発生源(浴槽と壁の隙間)へかけたときには,
何匹か幼虫が流れてきたので,
効果的であったと言える。

個体数を急激に減らすことは難しいが,
塩素系漂白スプレーを発生源に処理し,
餌となる有機物の付着をなるべく落としてから,
バスクリンなど水切れを良くするお風呂用洗剤をかけることで,
さらなる有機物の付着を防ぎ,
チョウバエの餌から減らしていきたい。

ちなみに毎日3頭は幼虫をつぶしている。

間違って消去

誤って昨日の日記を消してしまったのだけど,
私のfeedlyがそれを拾ってくれていたので助かった。

2014年7月22日火曜日

最近読破の2冊

里山資本主義


3月頃から借りたまま,ゆっくりと読み進めていた,
『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』
を読み終えた。

著者の言う里山資本主義とは,資本で測れない豊かさに重きを置いた経済で,
里山などに未使用のまま存在している資源を使って地方には地方の成長モデルがあってもよいというものでしょうか。

終始,サクセスストーリーが散りばめられていて,
これを読んだ人が盲目的に里山資本主義に走っていってしまうのは危険だけれども,
新しい価値観の投げかけという位置づけでは,
これから重要となってくるであろう本だと思いました。

里山資本主義という語呂もいいし,日本人が好きな里山と言う言葉が入っているのもいいですね。

これを読んで有名なコピペを思い出しました。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。 そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。 そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」

どのように生きることが幸せなのか,
多くの人が考えるべき分岐点に来ているのでしょうかね。




風の歌を聴け


本当は本屋さんで別の本を探していたのだけど,
無かったので,1〜2時間で読めそうな本を村上春樹さんのタイトルから見繕って, 
衝動的に読み終えた。

冒頭のスピード感が印象的で,
始めの章のための小説のように感じた。
ストーリー重視の小説は,一度読んでしまうともう満足だし,
いい日本語のリズムで書かれた小説の一説に「この文章はいい」と感じてもしばらくするとどのページにあったか忘れてしまうので(メモを取れば良い),
一度読んだ小説を読み返すことを,私はあまりしない。

しかし,冒頭がいい文章なので,既になんどか読み返した。たいへん好きな文章である。

読み終えた後,衝動的に文を書いたのだけど,
どういう意図で書いたのか全く思い出せない。
本の余韻で考えたのだろうと思うけど,そのまま書いておく。





生きるということは,合理的な選択だけではない。
無意味のように思える,時間や行動も,
その後のモチベーションを大きく変えることになりうるので,
計算的になりすぎず,直感に頼ることも必要なことである。

こんなに多様化して,
人口も増えすぎた世界では,
生物的に個や集団の利益を最適化するために生きるよりも,
人生の非合理さに意味合いを見いだしながら生きていく方が,
面白いかもしれない。

2014年7月10日木曜日

マジで保護ガラスを貼ってあってよかった

先日,ipadを車の後部座席に置いていたら,
ドアを開けた拍子にバランスが崩れて,
アスファルトに落下してしまった。

角から落ちて,液晶側が下になっていたので,
おそるおそる大丈夫か確認してみると,
角の辺りのフィルターが割れてしまっていたけど,
本体は無事だった。

矢印が破損箇所,しかし本体ガラスは無事


良かった。
大画面のタブレットはとても見やすくてきれいだけど,
その分,割れるのはとてもショック。

フィルターが無かったら,割れていたのだなと思うと,

本当に貼っておいてよかったと思う。これ
普通のカバーも買うか検討中。



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2014年7月7日月曜日

モウカサメのベーグルバーガー

私の四半世紀と少しの人生,
世間知らずといわれるかもしれないが,
モウカサメという名の魚に出会ったことはない。

調べてみると何やら,安価な魚として有名らしい。
昨晩,この得体の知れない魚を発見して,衝動買いしてしまった。

昨晩のうちにこれをムニエル風にソテーし,
今朝ベーグルを半分に切ってきた。

今これをトーストして,
野菜とモウカサメを挟んで,
まさに食べようとしている。
名前も聞いたことのない魚。




同定依頼のテンプレ

見たことがない。
聞いたことがない。
これに時間の箔がつくと,さながら新発見・大発明のようになる。
どういうことか。

私は職業上,夏場になると虫の同定以来が来る。
同定以来といっても,本当に虫の種類が知りたいというよりかは,
新種らしい物を発見してしまったからそちらでどうにかしてくれという様な,
半ばおせっかいに近い依頼である。

「今年,70歳になる祖父も見たことが無いといっております。何か研究のお役に立てば幸いです。」

この文章,70歳の祖父というのがミソなのだと思う
何の根拠も無いけれども,より長く生きた人間がある説を唱えているということで,
凄さを演出している。

10歳の子供がこれまで見たことの無い虫よりも,
70歳の老人がこれまで見たことの無い虫の方が,やっぱり信用できるでしょうか。

いや,10歳であっても虫に詳しい少年の方が信用できる気がします。


世の中には,こういう見せかけのオーソリティがあってうんざりする。
関心のない事柄については,
いくら年を重ねても当てにならないですね。


だから,私がモウカサメを知らないというのは,
長年,生物学を勉強している人も知らない魚ということでなくて,
無知ということ。


---
冒頭,もっとうまく書けそうな気がしたのだけど,途中で失速。ダメですね。材料も良い気がするけれど。力量不足。
中途半端だけど,おわり。

2014年7月2日水曜日

理論とフレーズ

理論の対比として持ってくる言葉がフレーズで適切か多少疑問だけれど,
言いたいことを集約しているのでこの表現を用いる。
私の語学学習などに関する今後の指針をまとめたい。



理論に傾倒してきた

私は,大学2年生の頃まで感覚重視で生きてきた。
元来杞憂ではあったが,あまり多くのことを考えて決定するというよりかは,
多くの判断を直感に委ねてきた。
勉強の類いも,どちらかといえばがむしゃらに取り組んでいて,
そうやっていればいつか劇的に理解が進むと考えていた。

最初のターニングポイントは,前述のとおり大学2年生の頃で,英語の時間だったと思う。
「多くの人はネイティブでないし,今の時点で流暢に英語が話せていないのなら,理論を良く理解するべきだ」
という先生の言葉に私は妙に感化されて,
それ以来,とにかく何より始めに理論という理解に努めた。

これは,なかなか正攻法で多くのことはこれに準ずると理解が進んだ。
今思えば,英語の文章理解などはこの頃を境に変化したと感じる。

当時から気が向いたときに弾く楽器に関しても同じで,
この頃を境に音楽理論を学べば,
さっと即興で演奏が出来るのではないかと考えていた。



理論だけでうまく行かない

現段階のことをいえば理論を勉強しても,
現状で流暢な英語が話せていないし,
即興の演奏も出来ない。

流暢に話せなくても,なんとか業務上は差し支えないが,
そもそものインセンティブは,業務にかかって始めたことではないので,
やはり流暢に話せた方が,自己満足ができる。

私が最近,いろいろ生活をするなかでたどり着いたのが,
フレーズをたくさん押さえるということである。



フレーズ勉強法

これを明らかに自分の中で言語化して,理解したのはここ2ヶ月くらいのことだけど,
きっかけとなったのは,ジャズを趣味でやっている人との話の中であったと思う。

即興演奏って凄いですね,という私の問いかけに対し,
いや,決まったフレーズを弾いているだけなのですよ。という返答。

なるほど。つまり,実践(完全なる即興)が出来れば凄いけれども,
実用的には,型稽古(フレーズ)の組み合わせでも十分なのだなと。

これは,英語の会話にも全く当てはまると感じていて,
フレーズ練習の不足が,
慣用句や文法から外れている語をとっさに理解できないことの原因なのではないかと感じている。

語学も音楽も,もう少し実践的なフレーズをいくつか増やして,
表現力を高めたい。

2014年7月1日火曜日

ヘビロテ中の音楽

もともとインストバンドはあまり聞かなかったのだけど,
春頃でた"SAKEROCKの季節" を最近ヘビロテしている。

もともとは,星野源さんの音楽を聴いたことがきっかけになって聞いてみたのだけど,
なかなかよい。

良い音楽を聴くと,自分も同じようにやりたいと感じて,
毎朝毎朝,今晩は楽器に触ろうと思うのだけど,
晩になると,飯を食って寝るだけの生活である。

昼間は,様々なことを考えて,
夜はおいしい物を食べて,音楽を奏でることが出来たら,
これは文化的に最高限度の生活である。
それにはもう少しばかり,体力が必要ですね。
鍛えましょう。


2014年6月27日金曜日

新しく始めた英語学習

lang-8という、言語の相互添削日記サービスを始めた。
実は、昨年、オーストラリアへ行った後にも始めていたのだけど、
前は面倒になってやめてしまった。

これは、よくある日記を書くタイプのsnsなのだけど、
違っているのは、自分が学びたい言語で日記を書くと、
その言語のネイティブが校正してくれるというしくみ。

よく出来ているのは、自分も自分の言語を学んでいる学習者の
日記をチェックしてあげないとならなくて、
よくチェックしている人ほど、チェックを受けやすくなっている仕組み。

自分のをチェックしてもらって勉強に助けにするのはもちろんのことだけど、
だれかの日記を添削してあげるというのもなかなか勉強になる。
細かな言葉選びは、やはりながくその言語に接している人でないとわからないな、と強く感ずる。
もちろん、勉強次第で習得に近づけると思うけど。


論文を書くようなかっちりとした英語を読む時は、
この主語は何かとか、修飾語がどこにかかっているかとか、
考えながら読むのだけど、
facebookとかでネイティブ同士が書きあっているコメントなどは、
主語をよく省略したりしていて、正直理解できないことがある。
そういったことの対策になりそう。

2014年6月26日木曜日

マジキチサンダルを買った

私は2年くらい前から、ビルケンシュトックサンダルにはまって、
以来、フォーマルな場以外ではほとんどこれを履くようになっている。

ビルケンシュトックサンダルは、ソールの交換が出来るので、
長い目で履くならば、少々値は張るがアッパーが天然革の物を買うのが良い。

しかしながら、最近の円安もあって国内で買うビルケンシュトックはずいぶんと高くなってしまった。
また、ビルケンのソールは柔らかく少々減りやすいというのも気になる。

高いお金を出して、今買う靴が本当にビルケンで良いのか?という自問自答の中で、
結局、私は革靴か、ニューバランスか、もしくは今回買うこととなるマジキチサンダルを買おうかなと考えていたのである。


マジキチサンダル

アメリカでの滞在中、私は私がマジキチサンダルと称しているサンダル、
ベッドロックサンダルを購入した。


このサンダルは、ソールとバンドだけという究極にミニマムな作りで、
足裏を最低限守るという機能しかない。
これまでは、とにかく足を守り、足に負担をかけないコンフォートを意識していたが、
完全に対局の裸足に近いサンダルを選んだのである。

日本に居る間、気になってはいたが購入にはいたらなかった。
滞在中、私の肩を押したのはなんといっても送料がかからないし、
為替リスクもないので、日本より$40ほど安く買えるということである。

実際に履いてみて、しばらくは如何に適当に歩いていたかということに気付かされる。
やはり、最近の靴というのはどれも優秀で、
かかとからどしんの体重をかけてもなんとも無いが、
このサンダルで同じことをしようものなら、
たちまちひざが痛くなってしまう。

地面の凹凸や、硬さもよく足裏で感じられる。
コンクリの上を歩くのはなかなか辛い。かえって、岩場のようなところの方が足裏を適度に刺激して良い。

より肌が露出するので、山に入る時には蚊対策をしないといけないけれど、
今のところそれ以外はよい。


2014年6月25日水曜日

機内での映画

国際線は搭乗中に映画が視聴できるので良いですね。
アメリカは到着地の州に寄って違うけれど,
だいたい12時間くらいの航路となる。多少,仮眠したとしても数本は映画を視聴できる計算である。

今回,私は往路で2本(到着後,仕事があったのでそのくらいにしました。)
復路で4本視聴した。

ウォルト・ディズニーの約束
メリーポピンズ
とらわれて夏
イエスマン
インセプション
それでも恋するバルセロナ

洋画ばかり見た。
ウォルトディズニーの約束は、もともと見たいと思っていた映画で、
予想通りよい映画であった。
私が初めてメリーポピンズを観たのは、小学3年生のときだったと思うが、
単純なミュージカル映画でなくて、大人が観ても楽しめるというのが、日本の軽薄な子供向け映画とは違うと感じた。

思いのほか良かったのが、イエスマンとインセプションである。

イエスマン

イエスマンは、日々忙しく、何かにつけ理由を考えて物事を断っている男が、
ひょんなことから全ての誘いに対してイエスと返すことで人生が変わっていく、
サクセスフル・コメディーだが、
毎日忙しいことを理由に、どちらかといえば否定的な返事をすることが多かった自分の姿と妙に重複して、
今の私にとってはとても教訓的なストーリーであった。
私が多くのことに出来るだけイエス答える生活にしたからといって、
映画のように美女と出会って、ファーオな展開になるとは思っていないが、
あらゆる誘いに対する前向きな姿勢は見習いたい。

インセプション

前提条件がたくさんあって少し難解であるが、
それらの条件をきちんと飲み込めれば、
感情に訴えかけるというよりかは、理詰めのストーリーで、
なかなか面白い。
なにかSF作品なのかと思っていたけれど、少し違う。
研究で疲れていたのに、夢中になってみてしまった。ただやはり難解である。
これを楽しむには、論理性と、条件の理解力,そして多少の矛盾には目をつぶるおおらかさが必要で、聴衆を選ぶが、はまれば面白い。

ということで、下記はおすすめ。



2014年6月20日金曜日

アメリカから帰国

今回の旅行では,相次ぐ航空機の欠航に見舞われるなど,
未体験のトラブルが発生し大変だった。

ことの顛末をアメリカ滞在中にまとめたのだけど,
bloggerアプリの不具合で消えてしまって,
更新をやめてしまった。

今回のアメリカ滞在では,さまざまな国籍の人と2週間程度過ごす中で,
自分にとっての新たな問題がいくつも見つかった。
まず,あれだけ対策したつもりの英語だったけれども,全然だめだった。
日本国内でも英語をまずまず使う環境に居るので,
普通の意思疎通なら大丈夫かと思っていたけれど,
欧米勢特有のコミュニケーションに全然なじめなかった。
ちょくちょくジョークを言っているのだけれど,全然理解できない。
強烈なコンプレックスをの残す旅であった。

もしかしたら,不慮のトラブルさえ無ければ,もう少しうまくカバーできたかもしれない。けれども,今後のことを考えれば,これしきでうまくコミュニケーションが出来なくなってしまうのは何とも頼りない。

幸い,SNSなどでのつながりは持つことが出来た。
このつながりを大切にすると同時に,
今回マイナスイメージで始まってしまった私自身をなんとか取り戻したい。

また,今回対応できなかったことについてのトレーニングをまた考えねばならない。

2014年5月30日金曜日

Lightning talkの準備に困っている

いよいよ明後日アメリカ出張である。
新しい情報の収集や,ネットワーキングを円滑に行うため,
昨年度のオーストラリアの反省を生かした,
英語のトレーニングを行ってきた。

以前よりは,頭の回転が良くなっていると思うけれど,
実際,何を話しているのかよくわからない場面は多々あるし,
頭で考えていることが,すぐに翻訳できなかったりして,
意思の疎通がうまく出来ないのではないかという,とても大きな不安がある。

また,チップのこととか,頭を悩ます問題が多すぎて,
既に神経が衰弱してきていて,おなかの調子がすこぶる悪い。

ともかく,いろいろこれまでの腕試しをする良い機会ではある。


Lightning talkをがんばらねば

もう一つ,頭を悩ませているのが,
Lightning talkをせねばならないということである。

Lightning talkというのは,5分程度の短いプレゼンのことで,
よくある10分以上のプレゼントとは,構成がかなり異なるようである。

ずいぶんサーベイしたが,
どうやら,隙のない論理を構築して相手を納得させるというよりも,
面白そうな小ネタを小出しして,5分間で魅了する,
自分に興味を持たせるというようなスタイルのようだ。

いつもなら,遅くとも1週間くらい前には,
プレゼンの構成がだいたい決まっているのだけれど,
今回はまだである。

そもそも,Lightning talkの経験が無い上に,
英語でせねばならないというのが,更にハードルをあげている。

私は,日本語だったら台本は基本的に準備しないけれど,
英語はそこまで頭が回らないので作る。

しかし,それもまだ完成していない。
結構,大変なのだけれど,
経験とは恐ろしい物で,意外と落ち着いている。
落ち着いてがんばろう。

それにしても,ティップをどうしよう。
ティップを。

2014年5月29日木曜日

チョウバエが大発生してチョーうざい

チョウバエとは,



これです。
こいつがたくさん舞っていて,鬱陶しい。

気がつく度,つぶしているのだけれど,
結局の所,発生源が水回りなので,排水管の中などを叩かなければ,
対症療法でしかない。

とりあえず,発生源を叩くのはとても面倒なので,
ニッチ隔離作戦と一網打尽作戦で切り抜けている。


ニッチ隔離作戦

その名の通り,人間とチョウバエのニッチを物理的に隔離してしまう作戦である。何のことは無い,奴らの進入経路を断てるように,戸締まりをしっかりすることが肝要の作戦である。


一網打尽作戦

奴らのニッチ(発生源)は我が家では,風呂場である。
従って,上記作戦に寄って,風呂場に閉じ込めた後,
入浴時などにこまめにつぶすのである。
ここで殺虫剤などを使っても良い。


さいごに

チョウバエは,見た目が気持ち悪い。
ハエなのか,チョウなのか,どっちなんだと言う疑念が消えない。
実際,つぶそうとすると鱗粉のような粉を出すから,なお鬱陶しい。

まぁ,チョウではない。ハエである。
ここで疑問,ハエ目ということは平均棍があるのだろうか。

実験材料は多量にいるが,やる気は起きない。

2014年5月27日火曜日

研究者向けの英語教材〜2014春〜

英語の勉強をいろいろしているけれど,
文法を強くするだけではどうも実践的でない。

とくに,研究周りの英語を勉強したい時,
テクニカルタームを押さえると同時に,
独特の言い回しなどを覚えられたらとても良さそうに感じている。

例えば,ディスカッションでどのように切り出すのがスマートなのか,
いきなり質問すべきなのか,それとも理由を述べてから質問すべきなのか,
などなど。

私は特に,失敗を恐れる系の人間なので,
出来るだけ事前に情報収集をしておきたい。

最近見た中でベスト

そういうときに,羊土社さんの教材は基本的にどれも優れていて,
私は結構いくつも持っている。
この間,図書館で発見して見ているのが,



なのだけれど,かなりかゆいところに手が届いている。
とりあえず,入門系のハウツー本を読んだのだけれど,
しっくり来ない人にはかなり良いと思う。

また,後半様々なシチュエーション別の例文が載っているけど,
大学院生からポスドクのジョブハントくらいまで使えそうな例文のカバー範囲で,
なかなか良い。

図書館の貸し出し期限をもう延長できそうにないので,
もう明日買うことにしましたわ。

2014年5月24日土曜日

読書技術

情報の収集が律速

毎日,新聞を読んだり,
毎週毎週出る,トップジャーナルの論文や,
毎月出る専門誌の論文を分野が重なるところから読んだり,
また,時には関係のない分野の面白そうな論文を読んだり,

論文は最新の知見過ぎて理解できない場合は,
教科書をもう一度読み直したり,

全く別の分野の研究手法を学ぼうとすれば,
やはり,その分野の教科書を読んだり,

ネットを開けば,世界情勢や,生活のtipsみたいな記事も面白いし,
ホンマでっか的な記事も,リフレッシュには良い。

そのようなことをやっていると,
リーディングの時間というのが圧倒的に足りない。困る。
後半の,本業と関係のない情報収集を止めたとしても,
前半のマストな情報収集だけで,やはり普通に読んでいったのでは時間が足りない気がする。

そういうことを思いつつも,
具体的な解決法は見いだせないでいたのだけれど,
英語の勉強のときに読んだ言語教育に気になることが書いてあった。
それは,読書を重ねていくと速読や斜め読みといった類いの能力がつくということ(というか博士を取得するには必須というような書き方)である。

速読をかじる

何となく聞いたことのある速読というのは,
周辺視野を鍛えるといったもので,
本当にそれで中身を理解できるのかよと眉唾であった。

速読には,速読と言われるものとフォトリーディングと呼ばれるものがあるらしく,
周辺視野を鍛えると言ったものは後者にあたる。
ほぼ衝動買いでこれに関する本を買ってしまった。

読んでいくと,後半に行くにつれ,
本文を写真で撮ったように記憶しておいて,
寝ているときなどに理解が進むというような,
サブリミナル的方法が出てきてどうもうさん臭い。
ネットいろいろ調べていくと,フォトリーディングを習得する高額のセミナーとかが出てきて,やはりうさん臭い。

私はうさん臭い物には敏感なので,フォトリーディングについては完全に自分の中でヤバいものと認定した。

しかしながら,購入した本については後半のサブリミナル的なこと以外は,
とても役立った。

例えば,目次を読んで構成を頭に入れてから読むだとか,
節のどの辺りに重要な情報がありそうかとか,
他の速読本を読んだことがないから,比較にはならないけど,
なかなか目からウロコであった。

これを読む前後では2〜3倍は速く(本人比)内容を理解できるようになったと自負している。訓練でもう少しは早く出来そう。

読むのではなく,内容理解というところがミソかも。
従って,文章のリズムや余韻を楽しみたい文学作品には向かないのかも。

ここまで,フォトリーディングはうさん臭いと認定してきたのだけど,
私の母はこれが出来るから,またうさん臭い。

2014年5月21日水曜日

バックグラウンドでの処理

この言葉がマイブームである。
進化学とか生態学の難しい理論は,何度読み返してもよく理解できないが,ある時突然に完全に理解できる瞬間が来る。
そういうのは,もはや,メインの処理でいくら努力しようとしてもダメで,
ならいっそ,しっかりとインプットをしてからは,
しばらくそのことからは離れて別のことをやる。

PCを開いて,いくつもウィンドウを開いて,
バックで処理させつつ,
書類書くみたいなことするけど,
難しいことの理解なんかも同じような感じで,
バックで処理させたらいいんではと思っている。

ついでに言えば,寝る間際にそういう難しい文章なんかを読むと,
睡眠導入に良いし,
夢の中でまでそれに追われて,
翌朝目が覚めると,
見違えるほどに理解力が上がっていたりしてよい。

2014年5月20日火曜日

ガバナンス

所属団体の統治体制に辟易している。
トップに当事者意識が無ければ,ダウンにも無い。
これまでしょうがなく,様々な雑用をやっていたけど,自分の仕事が忙しくなって,面倒になってきた。
人の善意に寄生するシステムは持続可能ではない。
せいぜい,善意はオプショナルな事柄に対して期待すべきで,
本質的な運営や機能を善意に任せるから,仕事の不平等が産まれる。仕事の不平等が,出世や報酬で補償されるならまだ良いけれど,私の現状に限ってそれはない。
人に同じことを施さぬとこころに刻もう。

2014年5月19日月曜日

黒歴史について

無駄な,方向性を見失った情熱はしばしば,黒歴史的事象として発散されます。
黒歴史的事象は,その当時の当人に取ってみれば良かれと思ってやったことなのですが,
後々,見返すと目も当てられないくらいに赤面し,あわあわ言ってしまうのです。

ただ,年甲斐もなくこういった黒歴史を生産し続ける人が居る一方で,
過去の黒歴史を反省することが出来るということは,
黒歴史的事象を生産してしまった頃の自己よりも,
精神的,技術的に進歩しているというということなのでしょう。

本日,他人の黒歴史を見て,これはひどいと思ったのです。
たまたま先ほど,過去の日記を見てしまって,我ながらひどいと思いました。人のことを言えた立場ではないのです。

多かれ少なかれ,これからも生産の過程で黒歴史的事象を生み出してしまうかもしれませんが,
お手柔らかに評していただくとして,
自らにおいては自己の形成過程の遺跡として大切にしようと思います。
(つまり,恥に乗じて消去してしまわぬよう)

2014年5月3日土曜日

英語の勉強

来月,アメリカに行くことになったので,一人でもなんとかなるように勉強している。
NHKのラジオ講座やたまに同僚と話したり,文献を読んだり,それらは英語の勉強としてはそれなりに効果的なのだけれど,いざ,密なコミュニケーションをしようとした時には,もっと別なアプローチが必要なんでは無いかと感じている。

翻訳できる日本語

そこで,以前からウィッシュリストに入れてあって買っていなかった本を買って,読んだ。



本書は,日本人がもっている共通認識や,それに伴って可能となっておる曖昧な言語表現による意思疎通をよく認識して,即,翻訳できる日本語を普段から使おうというものである。

具体的には,
・主語を明確にすること
・概要から詳細という方向性をもって話をするということ
などであった。

こういうことは,論文を書いたり,研究のプレゼンやディスカッションをしていると,自然と身についてくることなので,自分自身,多少は現段階でもできているのではと感じた。

ラングエージ・アーツについて

本書の中で,もう一つ参考になったのは,
欧米諸国では,言語教育 (ラングエージ・アーツ) を初等教育のうちから学ぶというものである。ラングエージ・アーツにおける教育だと,コミュニケーションに重きが置かれる一方,日本語の言語教育は,どちらかといえば文学的な表現を学ぶように思う。
この辺の話は,最近の小学校での英語教育の件といい思うところが有るが,それはおいておくとして,,,

言語教育は,大きく言語技術読書技術に分けられる。この読書技術というのが,私の琴線に触れた。これについて,ほぼ衝動的に気になった本を買って,読んだので,後日メモしようと思う。