2014年10月21日火曜日

カメラ買ったった


私は,7年くらい前にNikonのD80を買ってずっとそれを使ってきたのだけど,
この度新しいカメラを買った。
D80は大変良いカメラで,私は普段これにパンケーキレンズを付けていた。
良い解像度で色合い良い写真が撮れるのだけど,
ちょっとした用途にはiphoneで事足りるし,
少し持ち歩きが面倒であるというのがネックであった。
だから以前からいいコンデジが あったら欲しいと思っていたのである。

また,最近は上手に写真を撮る人が増えていて,
アイデンティティが出せないというのも,
わざわざ一眼レフを持って出かける気をそぐものだった。
最近のカメラは大変性能が良くて,
シャッターを押せばそこそこの写真が撮れる。
別に私がとらなくても良い写真はごまんとあるのだ。

それでも,良い写真を撮りたいと思ったのは,
ひとえに件のプレゼン本を読んだからである。
良い,解像度の高い写真をスクリーン目一杯に出すのは,
シンプルな割に,非常にインパクトが大きい。
しかし,私はそういうのに手頃な写真を持ち合わせては居なかった。

これはプレゼンに使える!という写真に時折出会うことがこれまでもあったけれど,
そういった時は大抵カメラを持っていなかったし,
その時折のためにカメラを持ち歩くのは,
ミニマムな思想が染み付いてしまった私にはひどく骨のおれることなのだ。

陰翳礼賛



文豪 谷崎潤一郎は,日本,アジアの美と言うのは陰の部分に宿ると,
著書「陰翳礼賛」の中で説いた。
私も,日本で育った身であるから,
そういった感覚はよくわかる。

古い日本家屋の台所とか,
寺院の中とか,
外から屋内へ入ってみると,
たとえ昼間であっても,驚くほど暗いのである。
そういった暗い中において,
私たちの目は映し出すことが出来る,
黒ずんだ木の質感とか,
土間の重く寒い感じとかを,
私はこれまでカメラで映し出すことが出来なかった。

これは,良い質感だと思い写真を撮って,
後から見返すと,
あれ,これっぽっちだったかとがっかりするのである。
もちろんこれは,私の技量が届いていないということもあるけれども。

でもそういった,陰の部分さえも映すことの出来るカメラに出会った。

SigmaのDP2 merill

で,結局私が買ったのは,
シグマのカメラである。

恥ずかしながら最近まで,シグマはサードパーティのレンズメーカーだと思っていて,
まさかこんなに良いデジカメを作っているとは知らなかった。

直前まで,つい最近発売された,DP2 quatoroと悩んでいたのだけれど,
あっちはまだ実勢価格が10万程度するし,
一眼レフと同じ位サイズがあるようで,
候補から外れた。

このカメラの優れたところは,
レンズの緻密さもさることながら,
光を受け取る素子にあるようで,
一般のベイヤー方式と呼ばれる素子とは全く作りが違うのだということである。
ただ,欠点もあって,高感度にめっぽう弱い。

また,私は虫の写真もある程度撮っていきたいのだけど,
これは単焦点の中盤レンズを積んでいる。

完全に虫をとれる装備ではない。
RICHOのコンデジであるCXシリーズはマクロに強く,
多くの虫屋はこぞって買ったということだが,
そこをあえてRICHOのGRシリーズを買いに行くような無謀さがある。

この辺りのことは一応考えている。
DP2 はとんでもない解像度を持っているので,
遠くからの写真であっても,後で等倍すれば実用に足る。
ただ,今よりも対象物によれるに越したことは無いので,
純正のクローズアップレンズや,独自のマクロシステムを考えていきたい。

冒頭の写真は,
カメラが届いてすぐに,窓から見える建物を撮ったのだけど,
後から見返すと,その解像度にびっくりする。
多分,これは結構よい買い物。


2014年10月20日月曜日

昨晩は実に眠りが浅かった

こうやって眠れないことがたまにある。
我ながら,自分の仕事のことやキャリアパスなど,
悩みは尽きないので,
不安で夜も眠れないといった日があっても良いように思うのだが,
それはない。

自分の思考回路はよくわからないが,
悩むくらいならさっさと寝た方が生産的だと思っているのだろう。
そうやって,大事な提出物のある前日も,
ぐっすり眠れてしまうのが考えものだが。

私が眠れないときは,
たいてい興奮しすぎてしまっているときである。
幼少時代,遠足の前などはわくわくして眠れなかったものだが,
そのような感じで妄想しすぎて眠れなくなってしまう。
これから起こるであろう,成功体験を妄想し,
加えて首尾よくいった場合の不安点などを考えて少し不安になるという不思議な状態だ。
もしもその不安点の解消法も見つかると,
さらにその先の妄想をして,ますます興奮してしまう。
ちなみにこの興奮にはエロティックなものは全く含まれていない。

昨晩は,うまく行く場合行かない場合の分岐点の3層先まで行ってしまい,
しまいには頭を冷やすために起きて,
ピンボールをしてからもう一度寝床に付いた。
ハイスコアが出た。


こういうハイな状態になってしまったことの原因として,
中煎りのコーヒーを久しぶりに飲んだことを考えているのだけど,
下記の自然に対して熱い思いで書かれた本を読んでしまったことも原因かもしれない。


裏山の奇人



ニコニコ学会等での研究発表やその他業績から,
昆虫界隈では知らない人は居ないこの方だが,
本書には生い立ち,研究哲学,研究についてが書かれていて,とても面白かった。
特にどのような思いで,研究論文を書いているのかという点は,
個人の研究に対する思いが出ていてやはり面白い。
こういう人を見ると,やはりもっと私も多作になるべきかと考える。

それにしてもフィールドの生物学シリーズは,
これまで非常に個性的な研究者にスポットを当てていて,
本当に驚きである。
研究者はたいていよく教育された人たちなので,
みなそれぞれに節目節目で様々なことを 考察し,
それを記憶し,伝える文章能力を有していると思うけれども,
それにしてもとりわけ面白い人を集めてくる。

どれも結構,研究についてしっかりとデータを添えて書かれているけれど,
一般の人にも分かりやすく工夫されていて感心する。

著者はいずれも,30代前半の若手であるけれど,
私がその年齢に達したときに,このような濃密な物語を語ることが出来るのか,
頑張りたいところである。



2014年10月15日水曜日

入力の重要性

ここのところ,何かと忙しかったのだけれど,
どちらかと言えば調子がいい。
この理由を私は,継続的に知的な入力(読書)が出来たおかげだと思っている。

何かを読んでいると,結果的に読まない何かをする時間は減るのだけど,
何もしないでいたときの一定時間と,
読んだ後の一定時間では,
後者の方が頭がクリアーで,
よく思いつき,
生産性が上がる気がする。

やはり,読むということは,
知的生産の上では,基礎体力を付けるようなもので,
前々から多分何度も,そういうことを書いていると思うのだけど,
今日もそう思った。

最近は日本語の文章の読解はずいぶんとスピーディーに出来るようになって,
とても良い。
問題は英語の文章で,やはり,重要な点もくまなく読もうとすると,
スピードは遅くなってしまう。
以前よりは早くなっているけれど。


ピンボール

先日,1973年のピンボールを読んだ。


位置づけとしては,風の歌を聴けの続編的であるようで,
僕や鼠の話である。
これと,あと村上春樹のもう一作で三部作であるようだが,
ふと登場する直子や,
双子がビートルズのラバーソウルをかけようとするとひどく動揺する辺り,
ノルウェイの森との関連性を感じる。
ノルウェイの森は,ラバーソウル収録の一曲である。

それにしても,ピンボールに出てくる,スペイン語を大学で教えている人が,
自分の職業を評した言葉,
「砂漠に水を撒くような仕事です」
というのはなかなか言い得て妙であった。

学生が,最低限の労力で単位を取ろうと考えているところに,
いくら力を注ごうとも,砂漠に水をやるようなものかもしれない。

とはいえ,なぜ,知的好奇心の沸き起こらない,
砂漠のようになってしまったのかは,
教育者はよく考えねばならない。



2014年10月8日水曜日

修行はいつまでするべきか

桃栗三年柿八年
あるいは,石の上にも三年。

日本では古くから,何かを成し遂げる前には,
その前の地道な努力が奨励されてきた訳です。

これに対して,異論は無いのですが,
ここのところの疑問は,では一体何年修行したら,
実践に移るべきかということです。

上記のことわざが詠まれた時代とは,
システムが違うのに,
修業期間ばかりが延びていて,それが推奨されているように思います。
勧められるがままにやれば,年齢は30を過ぎます。

自らは,修行の身ですが,
これからの目的や期間,必要性をよく考えねばなりません。
もちろん修行すれば今以上の力がつくことは確かですが,
それが無いと本当にやっていけないのか,型稽古をやりすぎて,
型稽古だけの人間になってしまうのではないかという不安があります。

安易な修行が足りない論や,海外へ行っとけば良い論に流されては,
本当にやりたいことをないがしろにしてしまうと思いました。