2014年9月29日月曜日

論文投稿,来客,英語プレゼン

先週から今日にかけてずいぶん忙しかった。
先週は,懸案だった論文が英文校閲から帰ってきて無事投稿を完了した。
今回は,今までになく,discussionにこだわっている。
これまでのように,結果に基づく事実だけでなく,
結果から予想されるさまざまな事柄を,推論を含めて議論した。

これまでは出来なかったことだけれど,議論を限定的にすることや,
断定を回避する言い回し等を使って,
自分の主張をオーバーディスカッションにならないギリギリのところまで,
述べるということに挑戦できた。
まだまだである。


来客

今度はフィリピンからの来客があり,対応した。
2ヶ月日本に滞在するそうだが,感じのいい青年である。
期間中のお世話は私がする。
新しいいい結果を出してほしい。


英語のプレゼン

短時間ではあるが,頼まれて,シンポジウムで話すこととなった。
私は日本語のプレゼンのときには,ある程度ストーリーと,
キーワードを頭の中に埋めておいて,
原稿は作らないでその場で考えて発表するけれど,英語ではそれが出来ない。

が,いつまでも原稿を用意した英語プレゼンばかりしていては進歩が無いので,
今回は出来るだけその場で考えて話せるように練習した。

また,逐一発表内容をスライドに書き込めば良いものを,
後述のプレゼン本に傾倒した結果,
非常にビジュアルを重視した発表となった。

発表はのっけから,話したいことが飛んで大変だったが,
後半は経験でなんとか持ち直した。本当に大変であった。
発表の善し悪しは別にして,
一応のところ自分の課したハードルはギリギリで越えられた。
良かった。


気になっていたプレゼン本

前々から,気になっていたのだけど,
ついに読んだ。

結論から言えばとても良かった。
しかし,この本を,所謂プレゼンのテクニック本として読んではいけない。
内容のほとんどは,如何にプレゼンというものを考えるべきかという,
いわば哲学本である。
非常に良い。

哲学も良かったが,
私がもう一つ心に残ったのは,
プレゼンをする時
「いつでも最高の準備ができているとは限らない」という指摘である。
プレゼン本を見ると,たいてい,
少なくとも1ヶ月前には準備をして,練習を始めるべきだとか,
理想的にはそうだけれども,仕事を多数抱えている際には現実的でない記述がよくある。

その点,この本は,確か,
準備不足であっても,準備不足に見せない 振る舞い等が書かれていて,良い。

ちなみにこれは図書館で借りて読んだのだけど,
隣に

の原著である,the naked presenterがあって,
衝動借りした。

内容は,かなり,presentation zenと似かよるが,
こちらは姑息な小手先の技術にこだわらず,
裸一貫でプレゼンをやり抜く哲学が描かれていて,良かった。
英語の原著で,最初から最後まで読み切れた本というのは,
私にとって両手で数えられるほどしか無いが,
これは可能であった。文も平易で内容も面白い。
良い。

ということです。


2014年9月22日月曜日

稲刈りなど

今年の稲刈りが終わりました。
祖父が居なくなって初めての稲刈りとなり,
どうにかうまく行くか心配だったけれど,
田をおこしたり,いつもお世話になっているおじさんの助けもあって,
思ったよりずっと早く終わったのでした。

稲刈りの機械を私が運転したのだけど,
感覚を掴んだ頃には刈り終えてしまって,
結局下手くそなままでした。
機械の操作は何度かやっているけれど,
毎年一度しか動かさないので,
かなりやらないとうまくはならないのではないだろうか。

田畑をどう維持していくかに付いては,
前々から私の懸念事項であったけれど,
祖父の不在により,その懸念は一層強まった。
私が田植えと稲刈りは申し訳程度に手伝っているが,
実際に日々の水の管理等をしているのは祖母で,
これがいつまで出来るかも分からない。

私は,
日本の農業がどうとか,
農業環境が生態系保全にどうとか,
そのようなアイデアを勉強し高めるために地元を離れたのに,
地元には帰れず,
代々守ってきた田畑も荒廃させるとなっては,
何をしにきたのか全く意味不明で,
本末転倒である。

これからのライフイベントやキャリアパス等を考えると,
なかなか難しい判断が必要だが,
自分が何に人生をかけるかを考えれば,
どのようにすべきかは自明である。

いつかは,自分の力を信じて,
一か八か攻勢をかけるしか無い。
その日のために,日々鍛錬を続けてきたつもりだが,
一人で戦えるか不安である感は否めない。


2014年9月18日木曜日

あたまの中の広がりとそれを描写する表現力と実行力

頭の中で考えているアイデアや概念や将来のこととか,
いろいろなことは日に日に広がりをみせている。

かつて考えていたことがより洗練されて具体的になったり,
もっと遠くの景色が見えてきたり,
現実感をもって捉えられたりするようになった。

しかし,それらを表現したり,
実現できるようにするには,
当然のことながら以前と同じスキルを持ってしては不可能で,
要求スキルもインフレしている。

前より,当然困難な仕事をよりスピーディーにこなせるようになった。
言うなれば,いや,言い過ぎだけれども,
常にスーパーサイヤ人でいることが普通くらいになった。
でも,敵(仕事)も成長していて,セル戦の様相を呈している。

現状の自分に満足かという問いは,結局いつになっても満たされないので,
自問しない方が良い。
今,自分のしたい仕事ができているかを確認するのが,着地点としては良い。

2014年9月12日金曜日

雑務・お笑い

今週は,海外からの客人のお世話と,
雑務が重なってなかなか忙しかった。
昨日までで,そのごたごたが一段落したので,ようやく生産活動を再開できる。


お笑い

私は一貫して,
シュール,ナンセンス,ハイコンテクスト,皮肉系のお笑いを好む。
そういった意味では,近頃,話題の日本エレキテル連合はなかなか良い線をいっている。
実は半年前くらいから,感電パラレルもサブスクライブしている。
おしゃべり未亡人朱美ちゃん3号は,
キャラ作りだけでなく起承転結もしっかりしており,
高い評価だけのことはある。

しかしながら,あれが24時間テレビに出演し,
子役の子に例の台詞を言わせるというような流れには,
少々疑問が残る。
忘れてはいけないのは,
おしゃべり未亡人朱美ちゃんは,
壊れたダッチワイフのネタであるということである。
これは,同一シリーズの仮出所妻さゆりちゃんに,
空気を入れるシーンからも明らかである。

このネタの試みは,正直かなり面白い。
人気が出るのも分かる。
が,深夜枠が妥当であろう。

これなら却って,
セックスのネタの方が良い。
セックスは人間の営みであるが,
ダッチワイフは,人間の性欲処理の,
平均値を少し越えた辺りに位置するんでは無かろうか。

とはいえ,
日本エレキテル連合に関しては適切に表現の自由を行使しているまでだし,
むしろ,これを安易に受け入れる視聴者や,
それに迎合して放送してしまう曲の方に問題があるのか。


何度も見たくなってしまうネタ

放送の枠さえ絞れば,
彼らのネタはかなり面白い。
私が気に入っているのは以下である。


ケンとクミシリーズ

ほとんど出オチなのだが,
「ナニワの,ナニワの男と女」が,耳に残る。
耳に残りやすいフレーズと,
隠喩を散りばめた内容で,
ゴールデンにも適した内容。
関西の人からは反感を買いそうである。


パラレル妖怪図鑑シリーズ



基本的にシュールで,
奇妙な習性をもつ妖怪が出てくる。
正直どうでも良いが,
そこがまた良い。


ナースのお勤めシリーズ



ナンセンスでハイコンテクストなコントである。
完全にナースのお仕事を参考にしているが,
実際にはナースでなく,風俗嬢である(どういうジャンルに属するのかはわからない)。

ナースのお仕事を見ていた世代にはドストライクで,
あーぜーくーらーという謎の名字や,
松下由樹にちょっと似てる感じが笑える。


ニジマスの精霊

これは,前にyoutubeかなにかで見たのだが,
ニジマスの精霊という口器がストロー状で,
気色悪い生物が出てくる,
シュールとナンセンスを極めた実にハイレベルなコントである。

たしか,番組ではレッドカーペットで落とされたネタか何かそんな感じで紹介されているのだけど,
そういう背景を持ってネタを見ると,
わざわざ,レッドカーペットにこのネタを持っていくこと自体,
インスタントな笑いを追求することへの,
反抗心が現れているような気がして,実に深い。
皮肉なことに,朱実ちゃんは一言セリフみたいなのが評価されてしまっている訳だが。


以上,多分考えすぎ。

2014年9月4日木曜日

SNSがむしばむ想像力

先日,日経のweb版に載っていた菊池成孔さんの記事がとても良かった。
紙面には載っていたのだろうか。

普段,新聞はipadで読んでいて,
ほとんどwebページは見ないのだけれど,
web版は1面2面...に,あまり左右されずに見出しがついていて,
新聞を読んでいたのでは拾えない情報に出会えたりして,
それはそれで価値がある。

記事の内容で私がとても共感したところが,
物事に打ち込むには、沈黙が必要で、ため込む時間がいる。なのにSNSで毎晩、毎分のようにコメントしていたら、時間なんか作れない。
というところ。

論理的に説明したいのだけど,
感覚的,経験的にしか出来ない。

ずいぶん世の中は便利になって,
情報伝達も早くなっているはずなのに,
人間の方はより賢く,創造的になっているのかという疑問は,
この辺りから来ている。

うまく説明するには,
自分の中での消化と,表現力がまだ足りないのだけれど。

2014年9月3日水曜日

福耳についての考察

ふくよかに肉のついた耳たぶを,福耳という。
これは,昔から富の象徴である。

一方,私の耳たぶは,それとはかけ離れてずいぶん貧相なのだ。
私はこのことを,物心ついた頃から少し気にしている。
巨万の富は望まないけれど,
私の耳たぶでは小金も望めないのではないか。

富の多い人は栄養状態が良いので,
実用上,一見必要に思えない耳たぶに肉のつくような人は,
金持ちであるという結果論からなっているのか,

もしくは,福耳を持つような人は,
概してふくよかで,
人相よく,
人当たりも良いから,
人が集まり,富が集まるのか,

どちらなのか分からないけれども,
少なくとも私の耳は貧相で,
今のところ富を得られそうな展望は無い。

論理的には,
耳たぶが貧相だけれども,巨万の富を得ているという人,
もしくは,福耳だけれども貧乏であるという人を見つけ出せば,
耳たぶと富との因果関係は否定できるのだけれど,
私は,産まれてこのかた出会ったことが無い。

もう一つ,私が巨万の富を得ることが出来ても,
これを否定することが出来るのだけれど,
もしかしたら,その頃には私の耳もふくよかになっているかもしれないし,
第一,やはり,今のところ,その展望は無い。



2014年9月2日火曜日

予想外に晴れた

昨日の天気予報で今日は雨だと聞いていたから,
昨日は雨のつもりで今日の準備をしたのだけれど,
起きてみたら,一転,雲一つない秋晴れである。

やられた。
気分は良いのだけれど,本当なら晴れの日にはやりたいことが 2, 3あったのだった。


予定通りを望み過ぎ

この野郎と,天気予報のせいにするのは簡単なのだけれど,
なんだか,予定通りになることを望みすぎていたのかなと反省した。

ドラマの次回予告のように,
明日の天気も予定通り来るような感覚になってしまっていて,
それは,天気予報の精度を過信し過ぎだし,
自然を甘く見過ぎかなと。
本来,とくに日本のように気象が激しいところだったら,
天気悪すぎ,もう無理,お手上げ,的な,
自然への畏怖があるだろうし,実際にあったのだと思うのだけれど。

なんだか,私は大震災を経験したはずなのに,
まだ,心のどこかで,自然とはコントロールが可能な事物のように思っている節があるようだ。
科学のゴールとして,コントロール下に置けることは,
目標とすべきなのだろうけれど,
もし,そうなったときには社会はどうなってしまうのだろうか。
もっとずっと,無機質で明日も明後日も波風の無いものになってしまいそうで怖い。
それまでに,もっとずっと,社会が成熟すれば良いのだけれど。

ともかく,こういう驕りは,自然の観察する者としては,
本来の物事を見逃す慢心につながりかねない。
あかん。

2014年9月1日月曜日

新型iPhoneが大きくなる限り,私は4sを使い続ける

新型iPhoneのモデルリークのニュースがあった。
今度のは,5sより少し大きくなって,丸みを帯びていた。
本当か知らんけど。

どうでもいいけど,
Appleはみんなが欲しいと思うようなものを作らなくていいんじゃないかと思う
顧客の声とか聴かなくていい。
スマホもpcも,もう一般ユーザーには既に十分オーバースペックだし,
あれこれ欲しいって言われる声に,いちいち答えなくていいから,
Appleのだれか今は,ジョニー・アイヴか知らんけど,
その人が毎日使いたいものを作ってくれよ。

他の会社に見劣りしないとかそんな要件はどうでもいい。
むしろ,他社のよりもずっと使いにくいところがあるかわりに,
バカみたいにすごいところがある方がいい。

容量小さいけど,小型とか,
デザインのために機能削ってるとか,
あれこれついているよりも,あれこれ削る発想が素晴らしいと思っていたのに
完全にミニマリスト的発想は淘汰されてしまったのか。残念。

まじで,なんで4sよりでかくするか謎。