2014年8月30日土曜日

行動するものを賞賛すること

もう大分たつけど,2ヶ月前に2週間アメリカに滞在していたのでした。
その時感じた,行動する者をencourageすることについて書く。

日本では,
「欧米の社会では,発言しない者は無い者と同じなのだ。」
よくいう。
誰が言ったか知らないけれど,よく聞く。

私は,これについて特別なことは感じていなくて,
ああそうなのか,私も自分の意見を持って,,,
などと月並みなことを考えていたのだけど,
滞在中に考えが変わった。

まことしやかに言われるこの話が,
周囲と本人の違いを強調させて,
自省的な変化を促す,
実に日本的な話だなと感じて,嫌だなと思ったのだ。
それは,自分の意見が表現できた方がいいけれど,
周りがどうかは関係無いじゃないか。

欧米にだって,シャイでほとんど質問とか自分の意見を言わない人だっている訳だ。
そういう人の存在は,無視されているかというとそんなことはない。
では,何が違うかというと,

自分の意見を表明した人への賞賛が全く異なるなと感じた。
質問者に対して,被質問者は大抵,
good question! と言って讃えるし,
周りの評価も上がって行く。大したこと聞いてない時もあるのに。

日本だったら,本当にいい質問であることが,求められる。
だから,わからないことを恥のように感じさせられる。
せっかく質問しているのに,
「話聞いてなかったのか?」とか,
質問者の求めるものでないとアクセプトされない感じ。最悪。

そういえば,小4の時,風邪で休んだ直後に出席した算数の授業で,
ノートに書いた答えを黒板に書いてと言われたので書いたら,
「はい,これはこの前の授業でダメと言いましたね。」
と,やられたのであった。最悪。

これまでのことをまとめると,
もしかしたら既に同様のことを論評している人がいるかもしれないけど,
日本の評価システムは実に「減点主義的」で
米国で感じたシステムは,「加点主義的」だと感じたのでした。
でも,それって,他のことも一緒かな。

なんだか,自分の主張をしないでじっとしている方が,
評価が高くなるというのはまぁいいけど,
それで全体が何もしない雰囲気になってしまうのは嫌だなと感じたのでした。

私は少なくとも,行動を起すひとに最大限の賛辞を贈り,
自らも,不得意なことだけれど、自身を表現していきたいと思う,
というまとめ。

これから大切にしたい振る舞い

年齢を重ねるにつれて,
自分が他人より秀でていることや,
どうやっても敵わないこと,
どんなに努力してももうどうしようもないことなどが,
よく分かってくる。

だから若い頃は,
自分を良く見せようと振る舞ったり,
自分の劣っていることがどうしても嫌だったりしたのだけれど,
そういうことはもうどうでも良くなってきて,
だんだんに開き直ってくる。
これをアイデンティティというのだろう。

私がやりたいこと

自分が見えてくると,
私だから出来ることと,
私には出来ないことと,
私がやりたいことと,
私がやりたくないこと,
これらの単純な組み合わせで,物事が展望できてくる。

そんな過程をへて私がこれから大切にしたいと思うこと,
つまり,出来るか出来ないかは別として私がやりたいことは,
以下のことである。

①人との対話
なるべくたくさんの,違う価値観,国籍,業種の人と話をしたい。
同じことを見ていたり扱っていても,
それぞれ持っている知識や情緒の物差しは違うから,
「確かにそうとも言えるけど,よくそんな風に考えたね。」
と思うことがたくさんある。

②物事のつまみ食い
とにかく興味の赴くままに,いろいろな物事をつまみ食いする。
それは,SNSや①や本や,
私を取り巻く全てのものが,きっかけとなるでしょう。

③物事の同化と異化
たくさんの物事に触れ合ったら,それを消化します。
消化というのは,私の中のイメージでは,
努力して出来る者ではないですね。
時間や環境が大事で,これはコントロールの出来ないプロセスである。

消化されるときは,ある時突然現れて,
ああ,そういうことだったのかと。
そうなったところで始めて,思索を巡らせます。
一番簡単な思索の巡らせ方は,比較である。
これがこうだったけど,これはどうか,
ここは似ていて,ここは異なるとか。
大きい小さいとかなんとか。

④そして,それを外なる世界へ出すということ
そうして,見つけ出したごく単純なことを,
ノートとか何かに書き出す。
最も簡単なのはこの日記です。
今書いているこれもまたそういう類いのものですね。


他に何かしたいことがあったけれど,
忘れたわ。


2014年8月29日金曜日

無題2

やはり,私は知的コンテンツの大量消費時代に産まれてしまったのです。
だから,暇なときには,
音楽を聴いたり,
テレビを見たり
雑なコラムや論評を読んで,ごく受動的に時間をつぶしてしまいます。
ゲームはあまりしないけど。


こういう時に,もっとクリエイティブなことが出来たらどんなにいいだろうと望んでいるのだけど,
怠惰な性格のせいで,すぐに後回しにしてしまいます。

仕事はきちんとします。
でも,仕事以外にもいろいろ能動的に生み出すことが出来たら,
もっとずっと素晴らしいと思っています。
大量消費時代に産まれたおかげで,
雑なコンテンツでも白日の元へ晒せるから。

ただ,やはりモチベーションの維持というのが大変です。
3年か4年くらい不定期的にこの日記を書いているけど,
よく続いたものです。

これには,始めたときからある思惑があります。
それは,怠惰という書きたくないモチベーションを,
見張られているという書かねばならないモチベーションで相殺する作戦です。

これに寄って,私の母国語圏だけでなくて,
ロシアとか(これは明らかにスパムですが)から大量アクセスがあったりするたびに,
あ,書かないと,という強迫観念に襲われて,
長年続いています。

大量の雑文放出には恥ずべきものもありますが,
思惑の検証がうまくいったことは,実りでしょう。

2014年8月28日木曜日

無題

構想はあっても,
口に出せないことはたくさんありますね。

頭で思い描いていることを,
言葉で描写できないからであったりします。

イメージを言語化するプロセスというのはとても大事で,
言語化できて始めて概念となるのだと思います。

だから,頭で分かっていると思っていても,
いざ,文章にしようと思うと,
細部に説得力が無かったり,
論理的に破綻していたりします。

頭の中ではつながっているいくつかの事象を,
言葉にしようとすることも難しいですね。
日記にしようとすると,結局その一部しかかけなかったりして,
よくあきらめます。

ん?先の2つの段落は本質的には同じことを書いているでしょうか。
こういった具合に,
思考の重複も一つの文章の中には不必要ですよね。

こういうことを整理して,
思考を洗練させていって,始めて綺麗な文,
あるいは概念になっていくと思います。

私はこういうことを一発ですらすら出来るようになりたいのだけど,
まだうまくありません。
出来るようになるには,文章をたくさん書く練習が必要です。
ただ私の面倒な性格が災いして,
そういうことをとくに日記ではやりたくありません。

だから,これは恥ずかしいな,と思う出来でも,
さっさと書いて,
後追いはせず,
新しい日記を書きます。

慌てず,腐らず,書き続けましょう。

2014年8月27日水曜日

山奥から帰ってきた

山奥というのは井川へ行ってきたのだけど,帰ってきた。
ここは,元々地盤の緩いところで,
よく道のガードレールも崩れて,
通行止めになっている。

ちょうど,広島の事故があった矢先だし,
不安だったのだけど,大丈夫だった。

前にもあったのかもしれないけれど,
鉄道の旧線がレールを残したまま,
遊歩道になっていた。

同行者の一人が,スタンドバイミーごっこが出来ると言い出し,
BGM を流し始めた。
いいアイデアだと思っていたら,一曲終わった頃に,
今度はLOLLIPOPを流し始めて,
なかなか分かっているなと感じた。
彼とはうまい酒が飲めそうである。


どこに向かっているのだろうか

ということで,最後の実習は終了した。
残念なことではあるが,
準備や移動の労力を考えると,
先の上司が大部分を支えていたのだから,
仕方が無いところもある。

哲学の無い者が,
仕事だけを引き継いだところで,
ルーチンの仕事しか出来ないだろうから。
本質を見失って,形骸化した行事となってしまうのも
悲しいので,今終わることは,終わりとしては良い。

ところで,今これが終わった代わりに,
何か情熱に裏打ちされた新しいことは始まるのだろうか。


2014年8月26日火曜日

スケッチをすることの意味

私は,中学時代の後半は部活の時間,
毎日図鑑の点描スケッチをしていました。

私の点描スケッチに大きな影響を与えたのは,
チョウの研究家である浜栄一さんです。
小学生時代から氏のフィールドノートにある点描画は凄いなと思っていたのですが,
中学の時,直接ご自宅で指導していただく機会があり,
それ以来じぶんも挑戦したのでした。

氏の点描画のすばらしいところは,
昆虫や植物など描画の対象をスケッチするだけでなく,
それらが生育する環境ごと写し取ることで,
そのセンスには,今なお私は適わないなと感じています。

氏が,先日,点描画の本を出版したということで,
献本いただき,拝読いたしました。
著書には,私が高校時代に書いたツマグロヒョウモンの絵も載せていただいてあり,
大変光栄なことでした。




さて,本題。

スケッチをこれまで何度か教えるという機会があった。
そうするとどうしても,綺麗に書こうとか,絵心が無いとか,
そう考える人が多く,いつも大変苦心しいる。

最近,よく考えるのは,スケッチをすることを意味なのだけれど,
私は,綺麗に書くことを心がけたり,
絵心を気にする必要などは全くないと考えている。

一番大切なことは,対象物をよく観察することである。

綺麗に正確に写し取りたいだけならば,
写真を撮れば良いのである。その方がずっと正確だし,
ずっと早い。

では,なぜスケッチをすると良いのか

私は,ある目的地へ車で行くことと,歩いていくことを比べると良いと考えている。

車で行くと,あっという間に目的地へ着く。そして,楽。
道程に何があったか,おおよそ覚えていて,またそこへ行くことも可能だし,
目的地でゆっくり時間が過ごせるでしょう。これはこれでグッド。

歩いて行くとする。
時間はかかるし,骨が折れる。
けれども,車で通ったときには気づかなかった裏路地を見つけたり,
道に咲く小さな花を見つけられるかもしれないし,
おされなカフェェーだって見つけられるかもしれない。

そういう発見や,発見が出来る観察力を養うのに,
スケッチが大変有効だと思う。
実際に虫を描いてみるとよくわかる。

輪郭の曲率とか,
翅の上下のプロポーションとか,
支脈がどういう風に交わっているかとか,
毛が生えている向きとか。

生態スケッチなら,どういう風に葉っぱを食べるかとか,
どんな環境にいるのかとか,
見ているけど意識していないことを,
スケッチにより認知することができる。

これらの違いというものの多くは,
生物学においては,分類の大事なポイントだったりする。
だからスケッチが大事なんです。
だから,上手でなくても,時間をかけて描ききることに意味があるのです。


まぁ,そういうことを教える側が理解していなくて,
とりあえずスケッチさせとこみたいなところがあるから,
デッサンの延長線上で捉えてしまって,
結局,絵が上手な人が良いみたいになって,
絵が嫌いな人は,もっと嫌いになるフィードバックがかかりそうですね。


2014年8月23日土曜日

雑感など

今日から,山奥へ入る実習へ行く。
ここ4年間くらい,私も手伝いで毎年行っていた実習だが,
担当者が退職する関係で今年で終わりである。


シリアで拘束された邦人について

シリアで邦人がイスラム原理主義組織に拘束された。
一時は,傭兵であるという情報が流れたが,
ネットの情報に寄ると,
過去にモデルガンショップを経営していた単なるミリヲタである可能性が濃厚のようである。

この人が,紛争地帯へ入ってしまったことは,
大変危険なことで,
我々のいる安全地帯から今回の件は自己責任であると論ずることは簡単であるが,
だからといって,一人の方の命がかかっている状況でそのように切り捨てることは,
大変複雑な心境である。

またこの件は,単純に法人が拘束されたこと以外に,
様々な政治背景を持つ人が,twitterで原理主義の一員とされる人に直接コンタクトをとったことに寄って,拘束されている本人の命が脅かされてしまっていることや,原理主義に重要な情報をチクった,チクらないの泥仕合の様相を呈しており,問題が複雑化している。


紛争地帯へ入ってしまう人も,
原理主義に直接連絡してしまう人も,
まったく平和ぼけしてしまっているのだなと感じ
(こういう感想自体もまさに平和ぼけだが),
同胞として恥も感じたのだった。

そう思っていた矢先,
今度は原理主義側が,日本語のあまりのメンションの量に,
日本語でイスラムの歴史や成り立ちを解説するページへ,
日本語で誘導を始めたというのを知り,
いやはや,丸腰の平和ぼけというのが,
実は平和をもたらす武器になるんじゃないかという,
9条信者の様な感想をもってしまった。


諸行無常では無いけれど,
こうなってしまっては,どうこうすることもできないので,
邦人も解放され,
原理主義は親日になるという斜め上の展開を祈って,
世界と簡単にはつながらない,山奥へ行こうと思います。

2014年8月22日金曜日

TOEICのスコアが上がった

私が以前TOEICを受けたのは,
4年前ぐらいであまり胸をはれる点数ではなかった。

最近,とくに英語の勉強のつもりで何かを特別に,
集中的にしていた訳ではないのだけれど,

英語論文も読んでいるし,
多少コミュニケーションもせねばならないし,
それ対策でNHKラジオ英会話も聴いているし,
先々月にはアメリカへ2週間行っていたし,
今の実力を測る意味で受けたのだった。

そうしたら,150点くらい伸びていて,
まぁ,それでも英語が出来ますと宣言できるほどのではないのだけど,
私としては嬉しかったのです。

やはり,英語に触れる時間が増えれば,
点数は伸ばせるのですね。

ということで,
次は800点を目標にもう少し,
科学論文だけでなくて,英語記事を読んだり,
したい。


バイリンガルニュース

そういえば,
ひょんなことからバイリンガルニュースというPodcastを知って,
最近聞き始めた。

英語と日本語の対話形式で様々なニュースを紹介するのだけれど,
結講,専門的な学術誌にもあたっていて単純にすごいと思う。

おそらく,英語が堪能ならば,英語のabstractというのは,
専門的な科学雑誌でも,十分にアクセス可能がな情報源になるのでしょう。
紹介されるニュースの内容は,あっさりabstractを読んだだけとは思えないけど。

英語と日本語の対話形式は,
TOEICの点数を伸ばしたりなどに有効は分からないけど,
私のような,英語のスモールトークを鍛えたいと思っている人には,
とっても有効そう。

2014年8月21日木曜日

メンタルトレーニング

2〜3ヶ月前,メンタルを鍛えるということをラジオ番組か何かで聴いた。
これは,自分を常に窮地に追い込んで,強くなるとかそういう類いのものではない。


精神をケミカル・フィジカルに考える

心理状態を,神経伝達物質の量とか,血中酸素量とか,呼吸とか,心拍数とか,
そういったフィジカル,ケミカルな視点から考えて,
最高の心理状態にするには,外的にどのようにしていけばよいかを,
場合場合で対処できるようにすることである。

これは,日本人的には,あまりなじみの無い考え方であるし,
このような考え方が出来れば,精神を病む人への偏見も少し和らぐと思うのだが,,,


私が考えていたトレーニングの問題点

さておき,やはり,メンタルを鍛えるというと,
自らを窮地に追い込むという発想になってしまう。
自分が指導者だったら,弟子に個々は踏ん張り時なのだから,少し厳しい指導をしようと思うかもしれない。

私は,どちらかといえばそういう指導を受けてきたと思うし,
自らに関しても,そのようなハードルを課すことがままある。

例えば,私はいつまでたってもプレゼンなどの前,極度に緊張する。
場数を踏まねばうまくなるとも思えないので,
誘いがあれば,受けるようにしているのだが,
その時,プレゼン前に自分にどう言い聞かせているかというと,
失敗できない,最善を尽くせ,
聴衆を感心させろ,などものすごいプレッシャーを自らにかけている。

結果的に極度に緊張する。
私は緊張するのは,慣れでどうにかなると思っていたし,
プレゼンに自信がつけば,落ち着けるものと考えていたのだけど,
いつまでたっても落ち着かない。

そこで,メンタルトレーニングのことを知って,
最近これは,自分の精神が弱いのでなくて,
直前の心理状態の作り方が悪いのだと確信した。


日々,やる気を維持するのにも役立ちそう

私は,これまで仕事の処理能力に波があった。
何かイベントがあって,直前に追い込みをすると,
それが終わった後,脱力して,何もやりたくないモードに入ってしまうのだ。

実際には,何もやらない訳にはいかないので,
仕事をするわけだけど,そういったときは,
仕事の能率は落ちるし,自分のしたい仕事のはずなのに,
仕事によって日々フラストレーションがたまるという,
悪循環にはまり込んでしまう。

毎年置きていた秋口からの,急激なやる気の減退は,
夏場の仕事し過ぎが原因なのではないかと最近思っていて,
何となく精神の恒常性を意識するようになった今年は,
いつもよりたくさん虫を飼育しているし,
抱えている課題も多いのだけど,
うまく乗り越えていけそうな印象である。

私が参考にした本は以下。
理論ともあるのだけれど,ハウツーに割く紙面が多いので,
少し退屈だけれども,それなりに納得する箇所がいくつかあって,よい。




2014年8月20日水曜日

ブラザーから借りる

私は電子書籍はhontoで買っていたのだけど,
ブラザーはkindle派らしい。

正直,どこでもそんなに変わらないと思うのだけど,
私は,hontoでよく買っていて,
ビジネス書や洋書はkindleでも買う。

ブラザーから借りたのは,
寄生獣という漫画で,
一般の評価が非常に高いのは知っていたけれど,
私は読んだことが無かった。

読んでみると,
物語の中に出てくる寄生生の生物がなぜ存在するのかや,
人間が他を思いやる気持ちがなぜ存在するかなどの哲学的な問いかけや,

タイトルでは寄生と言いつつも,
相利,片利などの共生関係を築くものも登場し,
人間に寄生するという特異な特徴を持った生物と人間との対比の中で,
人間の有する感情の特異性や,
多様なものが居る中で,生きていくということはどういうことなのかということを,
考えさせられる名著であった。
ナウシカぶりに,知的好奇心もかき立てられる漫画。




ちなみに,なぜか弟が,
漂流ネットカフェという漫画も進めて来たのだけれど,
描写のエロスやバイオレンスが私にとって胸糞が悪くなる話で,良くなかった。

読者に嫌悪感を抱かせるという意味で,
ストーリーや作画が秀逸なのだろうと思うし,
青春時代の倒錯あるいは暴力的な性的憧憬をうまく表現しているのだと思う。
成人漫画の表現としては,許容の範囲内であり,評価されるべきではある。

2014年8月19日火曜日

盆など

盆が終わりました。
すっかり,夏も終わりの様相で,ちとセンチメンタルな訳です。

いつも通り盆は,山ほど仕事を抱えて,実家に帰省したが,
結局,したのは虫の世話くらいで,
仕事は全く進まず,
後は漫画を読んだり,本を読んだりしていた。

何だか,田舎と都会では,
時間の進むスピードが異なる。
都会(というほど都会でないけれど)では,
何か手を動かしていないと罪の様な強迫観念に襲われているのだけれど,
田舎へ行くと,それが無い。
都会では社会の中で生きられるかが問われる一方,
田舎では自然の中で生きられるかが問われていることに起因するのだと,
私は分析している。
その辺りは思うところがたくさんあるのだけど,
まとめるパワーが無い。そこに割けない。


漫画「サンクチュアリ」



社会の表と裏から,日本を変えていこうとする若者二人の熱い,任侠アンド政治漫画である。
急進的思想の私とっては,読後,
謎の胸の高鳴りが起こる,
実に熱い漫画であった。

漫画の中で,いくつかの政策が立てられたりするのであるが,
それは必ずしもそれ自体が目的となっている訳ではなく,
何らかの起爆剤として,あるいは交渉の材料として用いられる場面が多々ある。
そういった謎の駆け引きを見ていると,
今ある政治のゴタゴタの舞台裏も想像かき立てられる。


2014年8月12日火曜日

新しい論文を書き始めた

論文を書き始めて,もう佳境である。
最後の,ひとまとめがどうしてもうまくいかない。
どうにか,ストーリーをさっとにまとめる力がでない。

時間がいくらあっても,出来ないときは出来ないし,
いくら追い込まれていても,ふと今なら出来ると感じるときは,馬鹿みたいにあっという間に出来てしまったりする。

出来ないときに,時間をかけて,悩んで,うまいものが出来た試しが無い。
難しい。


平行して,他の人の論文の面倒を見ているのだけど,
これを直すのは実に楽な仕事である。
これらは同じようでいて,異なる仕事をしていることに起因するのだと思う。


論文書きを家を建てることに例えるならば,
他人の論文を直すというのは,人のたてている家の
扉の立て付けが悪いから直してやるとか,
電気の配線をするとか,増築を推奨するとかそういった類いの行為である。

対して,自分が書くこととなると,
基礎から自分で建てていかねばならないということである。
自分で柱を立てないとならないし,配線も外装も内装も自力でやらねばならない。
全てに精通している達人ならばいいけれども,必ずしもそうではない。
一部は見よう見まねで人の作りを見ながらやるわけです。

とはいえ,上手でなくても書いていかないと,
うまくならないし,クビです。


話は戻って,
建築のアナロジーで私がいまどういう状態にあるかというと,
家はだいたい出来ているんだけど,
家のイメージに合う,内装が決まらないといった具合です。

試しに,他の家を何軒も見て,
良さそうなものを試しに配置してみているのだけど,
プロ端くれとして,このまま完成にしてしまう訳にはいかないので,
どのように仕上げたらいいのか思案している。


もう完全に煮詰まっているので,
関係のない本などを読んで,
リフレッシュして,
アイデアの光臨を待つ。