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2015年1月16日金曜日

速読のコツ

本日,初めて速読のコツを掴めたような気がした。
いくらやり方を読んでもピンと来なかったが,体感してみると,
なるほど,こういう意味だったのかという感じ。

明日も試してみる。

2015年1月15日木曜日

年末年始・読書・雑感

年末年始,今年は連休が取りやすく,
それを余すこと無く使い切る形で,休みを取る。

長野の陽気は,実にゆったりとしていて,
それに,こたつの魔力も相まって,
いつものことながら,持ち込みの仕事はてんで進まず。

本を2冊読む。



それから,宮沢賢治のグスコーブドリを久しぶりに読む。

紅白のくわっちょのパフォーマンスや,
フランスの風刺画の問題など,
表現の自由とその範囲,受け手の解釈などを書きたいと思ったが,
上手くまとまらず,
その内に投げ出してしまった。

(10分)

2014年12月24日水曜日

文章で描写することの大切さ

戦後くらいまでに書かれた純文学などを読んでいると,
自分自身の文章能力と照らし合わせて,
このようには書けないと感じることがあります。

先日,この違いがどのようなライフスタイルの変化に起因するのかを考えてみたのですが,
言葉よりも率直に伝えることの出来るツールが増えたためではないかと思います。
それは,写真であり,音楽でありです。
五感を使って認識する様々な外界の物事を,
言葉を介さずに直接見せたり,聴かせたり出来るようになりました。

個々最近,スマホが普及して,
そのようなことはより簡単にできるようになりましたから,
言語を介した表現力はこれからより一層衰退していくかもしれません。
だって,心に残るような写真を見つけたら。
「すごくない」といって見せれば事足りるのですから。

スティーブン・キングは,
「ことばというものは、ものごとの重要性を減少させてしまう」と言いました。
これはその通りです。
やはり,五感に訴えかけるものは,
それを直接提示できるのならば,それに勝るものはありません。

けれども,やはり,ことばの情報量や描写力というのは大変優れていると思います。
ことばは,五感以上にその人の文化背景を反映します。
何気なく使っている言葉の中には,暗に隠されている文脈がたくさんあります。
そういったものをたくさん含んでいるから,
最終的には,写真一枚よりもその光景をつぶさにあらわしたことばの方がより一層,
情報を持っていると思います。

ことばは,異なる思考や文化背景を持っている人同士が,
意思疎通を図るための唯一の手段だと思います。
様々なツールは私たちのグローバル化を助けてくれるけれど,
結局細部の詰めは必ずことばに行き着きます。

そして,そのことばは必ずしも共通の言語である必要はないのではないかと思います,
一番には自由に使える言語があるということです。

(10分)



食事と読書のアナロジー

知的生産の技術を読み終わった。
この技術というポイントは,知的生産のみならず大変重要なポイントだと考えている。

最近感じるのは,
ある現実的な目標達成に必要なのは,
情熱と技術だということである。
情熱を努力によって燃やすことは出来ないが,
技術というのは個人の努力によって,大抵のところまで訓練できる。

よく技術あるいはスキルと言った方が良いかもしれないが,
これを才能とひとくくりにしてしまう人がいる。
確かに技術習得において,才能は重要であるけれども,
現実的な問題を対象とする場合に,
才能が必要なほどのスキルを必要とする場面はむしろ稀である。

技術を身につければ,だれでも知的生産をすることが出来るということで,
何も,高度に訓練された人のみに許された特権ではないということである。

食事と読書のアナロジー

本の中で,それについての記述が少しあった。
筆者の考えであったか,もしくは誰かの引用であったか忘れてしまったけれども。

長い距離を走る。あるいは,筋トレをする。
何れにしても,自身が飢餓状態にあったのではままならない。
栄養状態が良いことが前提である。

知的生産に関しても,トレーニングをしようとするならば,
それなりに知的栄養状態が良くないとならない。

そういった意味で,
運動には食事が必須だし,
知的活動については読書が大切なのだという意見に,
同意しました。

2014年12月22日月曜日

英語長編論文・人魚の珈琲屋

長編の論文がようやくある程度にまとまってきた。
私は英語の文章を書く時,最近は英語で考えて書くことを心がけているのだけど,
今回は長編を書くにあたって,
英語では上手く論理が構築できなかったので,
日本語で結講格子をしっかりと作ってから英訳した。
今夜以降は細部の推敲にいよいよ入る。

やはり,自由に使える母国語というのをまず構築することが,
他の言語を操る上でのマストである。
これは,2カ国語以上を操るという環境で育たなかったものの場合で,
早くから様々な国で生活する必要のあった人には当てはまらないかもしれない。
話は飛躍するが,自由に扱える言語がないうちから,
グローバルという空虚な目標の名の下に,
英語を初等教育から始めるのには断固反対である。
まったく。

今週,人魚の珈琲屋で作業するのは一週間に2度目となる。
人魚の珈琲屋でドヤ顔で仕事をするやつがうざいという批判はあるが,
その批判はまったく筋違いである。

人魚の珈琲屋やその他チェーンの珈琲店は,
家でも仕事場でもない,第三の場所を提供していることに価値がある訳で,
そういったところで,高くて甘い珈琲を買って,
ただ帰るのでは本来の価値を享受しているとは言えない。

(15分)

文章にして書き留めること

たとえ,一文であったとしても,
見たことや感じたことを,
きちんと主述のはっきりとした文章にして残しておくことは,
大変重要なことである。

従って,出来るだけ感じたことを書き記したい。

とても当たり前のことしか書いていないが,
今日このように思ったのは,
梅棹忠雄著「知的生産の技術」の一説,

自分だけにわかるつもりの,メモふうの書き方は,しないほうがいい。1年もたてば,自分でもなんのことやらわからなくなるからだ。自分というものは,時間がたてば他人とおなじだ,ということを忘れてはならない。

という言葉がひどく心に響いたからである。

たくさんの仕事を抱えていて,
私は,知的好奇心を満たす方向へ,
読書をすることで逃避している。
今週は仕事納めに向けて,やり遂げないとならないことがいくつもある。
頑張って,良い年越しをしよう。

(7分)

2014年12月19日金曜日

画策

本日は,面白そうな情報を入手したので,
協力してもらえそうな人たちに連絡した。

様々な仕事が山積しているので,
先に片付けていかないと,
また,手を出しすぎて疲弊するいつものお決まりのパターンになってしまう。

どうでも良い案件は無視しよう。

(3分)

2014年12月17日水曜日

年末感

今年はいつになく年末感が無い。
もうあと今年も2週間しかないというのに,
まだ11月くらいの気分である。

師走というだけあって,本当は忙しいはずなのだけど,
緩急が大変良く付いていて,
仕事と余暇のバランスは良い。
しかし,新しい事にチャレンジしようとするには,
もう少し余暇があったら良いかな。

大仕事が目の前にあるのだけど,
なかなか火がつかない。
どうしても小仕事ばかり,先に手をつけてしまい。
いつも大仕事の方が後回しになってしまう。
そろそろ,大仕事の方を本腰を入れて片付けないと,
いよいよ大変なことになってしまうよ。
取りかかりが遅くなって,挙げ句の果てに仕事の品質を落とすような事は避けたい。

そういう意味では,投稿論文というのは幾分か気楽かもしれないと思った。
ある程度 “決まり手” というのがあるから,詰将棋じゃ無いけれど,
ゴールというのはある程度見通しが付く。

もっと大きな仕事というのは,
見通しが付いても,もう少し出来るかもしれない,
というのが続いて際限なくゴールが先に延びていって,
いつになったら終わるのか分からなくなってしまう事がある。
これは,人生にも言える事でしょうか。

ともかく,大風呂敷を広げたまま仕舞わないというのは,
これは何もしなかったと同じ事です。
終わりよければ全てよし。
首尾よく始めることだけでなく,綺麗に終わることにも注意を払って,
今年一年と来年を 迎えたいものです。

(10分)

2014年12月1日月曜日

ディギン・イン・ザ・カーツ

遅きに失した感があるが,
レッドブルミュージックアカデミーの「ディギン・イン・ザ・カーツ」が素晴らしい。



全何エピソードあるのかよく知らないけれど,
私は時間を見つけつつエピソード3まで見た。

日本のゲーム音楽をまとめた話だけど,単純にゲームのBGMとしてではなく,
多くの現代のポップに影響を与えているようで,
月並みな感想ではあるが,すごい。

これらの音楽は,音楽経験の長い人たちが作っていたというよりかは,
若い人が,自由に裁量を与えられていたようである。
やはり,若い人に自由にやらせるということも大切なのだと思う。


ファミコンの思い出

私が物心着いたときにはファミコンが我が家にあって,
やり込んだスーパーマリオブラザーズは相当上手いと自負している。
次にゲーム機が来たのは小一の時,初代ゲームボーイを買ってもらったときで,
その次はプレステが来たときなので,
多くの同世代が経験している,スーファミや64を私は経験していない。

当時のゲームボーイはモノクロだし,
ゲームの複雑さで言ったら,それでもファミコンの方が上だったから,
私はよくファミコンをしていた。

だから,当時は気にもかけていなかったけど,
ファミコンの電子音というのはとても耳なじみが良いみたいである。

ディギン・イン・ザ・カーツは,ゲーム好き・音楽フリーク必聴・必視である。

2014年11月17日月曜日

TOEIC下がった残念

TOEICのスコアが,
リーディングが35上がって,
リスニングが40下がって,
5ポイント下がってしまった。

偽り無く,このくらいの実力という事ですね。
もっと伸びるよう,頑張りましょう。

2014年11月12日水曜日

無題

私の日本語力がおかしくなければ,
何ら衆院を解散するという文言は,
首相から出てきていないように思うのだけど,
なんでこんなに騒がしいの

忙しいのに,選挙とか意味不明。

2014年11月6日木曜日

割と忙しい

先週から本当に忙しくなってきた。
この忙しさは,少なくとも年内は続きそうである。

こういう,本当に首が回らないくらい忙しい時,
私はメンタルタフネスモードに入る。
具体的には,
ネガティブな言動を避け,
ミスをしても眉間にしわを寄せるような表情をせずに,

ポジティブに,
口角と頬の筋肉をあげる感じでにこやかに過ごすモードである。
これは,メンタルタフネスの表情や思考が精神に影響するという考え方に基づいている。

最近は,もうこういう忙しさを普通に乗り切れるくらいにならねばならないと思っている。
どうすれば良いのかはまだ分からないのだけど。

2014年10月20日月曜日

昨晩は実に眠りが浅かった

こうやって眠れないことがたまにある。
我ながら,自分の仕事のことやキャリアパスなど,
悩みは尽きないので,
不安で夜も眠れないといった日があっても良いように思うのだが,
それはない。

自分の思考回路はよくわからないが,
悩むくらいならさっさと寝た方が生産的だと思っているのだろう。
そうやって,大事な提出物のある前日も,
ぐっすり眠れてしまうのが考えものだが。

私が眠れないときは,
たいてい興奮しすぎてしまっているときである。
幼少時代,遠足の前などはわくわくして眠れなかったものだが,
そのような感じで妄想しすぎて眠れなくなってしまう。
これから起こるであろう,成功体験を妄想し,
加えて首尾よくいった場合の不安点などを考えて少し不安になるという不思議な状態だ。
もしもその不安点の解消法も見つかると,
さらにその先の妄想をして,ますます興奮してしまう。
ちなみにこの興奮にはエロティックなものは全く含まれていない。

昨晩は,うまく行く場合行かない場合の分岐点の3層先まで行ってしまい,
しまいには頭を冷やすために起きて,
ピンボールをしてからもう一度寝床に付いた。
ハイスコアが出た。


こういうハイな状態になってしまったことの原因として,
中煎りのコーヒーを久しぶりに飲んだことを考えているのだけど,
下記の自然に対して熱い思いで書かれた本を読んでしまったことも原因かもしれない。


裏山の奇人



ニコニコ学会等での研究発表やその他業績から,
昆虫界隈では知らない人は居ないこの方だが,
本書には生い立ち,研究哲学,研究についてが書かれていて,とても面白かった。
特にどのような思いで,研究論文を書いているのかという点は,
個人の研究に対する思いが出ていてやはり面白い。
こういう人を見ると,やはりもっと私も多作になるべきかと考える。

それにしてもフィールドの生物学シリーズは,
これまで非常に個性的な研究者にスポットを当てていて,
本当に驚きである。
研究者はたいていよく教育された人たちなので,
みなそれぞれに節目節目で様々なことを 考察し,
それを記憶し,伝える文章能力を有していると思うけれども,
それにしてもとりわけ面白い人を集めてくる。

どれも結構,研究についてしっかりとデータを添えて書かれているけれど,
一般の人にも分かりやすく工夫されていて感心する。

著者はいずれも,30代前半の若手であるけれど,
私がその年齢に達したときに,このような濃密な物語を語ることが出来るのか,
頑張りたいところである。



2014年10月15日水曜日

入力の重要性

ここのところ,何かと忙しかったのだけれど,
どちらかと言えば調子がいい。
この理由を私は,継続的に知的な入力(読書)が出来たおかげだと思っている。

何かを読んでいると,結果的に読まない何かをする時間は減るのだけど,
何もしないでいたときの一定時間と,
読んだ後の一定時間では,
後者の方が頭がクリアーで,
よく思いつき,
生産性が上がる気がする。

やはり,読むということは,
知的生産の上では,基礎体力を付けるようなもので,
前々から多分何度も,そういうことを書いていると思うのだけど,
今日もそう思った。

最近は日本語の文章の読解はずいぶんとスピーディーに出来るようになって,
とても良い。
問題は英語の文章で,やはり,重要な点もくまなく読もうとすると,
スピードは遅くなってしまう。
以前よりは早くなっているけれど。


ピンボール

先日,1973年のピンボールを読んだ。


位置づけとしては,風の歌を聴けの続編的であるようで,
僕や鼠の話である。
これと,あと村上春樹のもう一作で三部作であるようだが,
ふと登場する直子や,
双子がビートルズのラバーソウルをかけようとするとひどく動揺する辺り,
ノルウェイの森との関連性を感じる。
ノルウェイの森は,ラバーソウル収録の一曲である。

それにしても,ピンボールに出てくる,スペイン語を大学で教えている人が,
自分の職業を評した言葉,
「砂漠に水を撒くような仕事です」
というのはなかなか言い得て妙であった。

学生が,最低限の労力で単位を取ろうと考えているところに,
いくら力を注ごうとも,砂漠に水をやるようなものかもしれない。

とはいえ,なぜ,知的好奇心の沸き起こらない,
砂漠のようになってしまったのかは,
教育者はよく考えねばならない。



2014年10月8日水曜日

修行はいつまでするべきか

桃栗三年柿八年
あるいは,石の上にも三年。

日本では古くから,何かを成し遂げる前には,
その前の地道な努力が奨励されてきた訳です。

これに対して,異論は無いのですが,
ここのところの疑問は,では一体何年修行したら,
実践に移るべきかということです。

上記のことわざが詠まれた時代とは,
システムが違うのに,
修業期間ばかりが延びていて,それが推奨されているように思います。
勧められるがままにやれば,年齢は30を過ぎます。

自らは,修行の身ですが,
これからの目的や期間,必要性をよく考えねばなりません。
もちろん修行すれば今以上の力がつくことは確かですが,
それが無いと本当にやっていけないのか,型稽古をやりすぎて,
型稽古だけの人間になってしまうのではないかという不安があります。

安易な修行が足りない論や,海外へ行っとけば良い論に流されては,
本当にやりたいことをないがしろにしてしまうと思いました。



2014年9月22日月曜日

稲刈りなど

今年の稲刈りが終わりました。
祖父が居なくなって初めての稲刈りとなり,
どうにかうまく行くか心配だったけれど,
田をおこしたり,いつもお世話になっているおじさんの助けもあって,
思ったよりずっと早く終わったのでした。

稲刈りの機械を私が運転したのだけど,
感覚を掴んだ頃には刈り終えてしまって,
結局下手くそなままでした。
機械の操作は何度かやっているけれど,
毎年一度しか動かさないので,
かなりやらないとうまくはならないのではないだろうか。

田畑をどう維持していくかに付いては,
前々から私の懸念事項であったけれど,
祖父の不在により,その懸念は一層強まった。
私が田植えと稲刈りは申し訳程度に手伝っているが,
実際に日々の水の管理等をしているのは祖母で,
これがいつまで出来るかも分からない。

私は,
日本の農業がどうとか,
農業環境が生態系保全にどうとか,
そのようなアイデアを勉強し高めるために地元を離れたのに,
地元には帰れず,
代々守ってきた田畑も荒廃させるとなっては,
何をしにきたのか全く意味不明で,
本末転倒である。

これからのライフイベントやキャリアパス等を考えると,
なかなか難しい判断が必要だが,
自分が何に人生をかけるかを考えれば,
どのようにすべきかは自明である。

いつかは,自分の力を信じて,
一か八か攻勢をかけるしか無い。
その日のために,日々鍛錬を続けてきたつもりだが,
一人で戦えるか不安である感は否めない。


2014年9月12日金曜日

雑務・お笑い

今週は,海外からの客人のお世話と,
雑務が重なってなかなか忙しかった。
昨日までで,そのごたごたが一段落したので,ようやく生産活動を再開できる。


お笑い

私は一貫して,
シュール,ナンセンス,ハイコンテクスト,皮肉系のお笑いを好む。
そういった意味では,近頃,話題の日本エレキテル連合はなかなか良い線をいっている。
実は半年前くらいから,感電パラレルもサブスクライブしている。
おしゃべり未亡人朱美ちゃん3号は,
キャラ作りだけでなく起承転結もしっかりしており,
高い評価だけのことはある。

しかしながら,あれが24時間テレビに出演し,
子役の子に例の台詞を言わせるというような流れには,
少々疑問が残る。
忘れてはいけないのは,
おしゃべり未亡人朱美ちゃんは,
壊れたダッチワイフのネタであるということである。
これは,同一シリーズの仮出所妻さゆりちゃんに,
空気を入れるシーンからも明らかである。

このネタの試みは,正直かなり面白い。
人気が出るのも分かる。
が,深夜枠が妥当であろう。

これなら却って,
セックスのネタの方が良い。
セックスは人間の営みであるが,
ダッチワイフは,人間の性欲処理の,
平均値を少し越えた辺りに位置するんでは無かろうか。

とはいえ,
日本エレキテル連合に関しては適切に表現の自由を行使しているまでだし,
むしろ,これを安易に受け入れる視聴者や,
それに迎合して放送してしまう曲の方に問題があるのか。


何度も見たくなってしまうネタ

放送の枠さえ絞れば,
彼らのネタはかなり面白い。
私が気に入っているのは以下である。


ケンとクミシリーズ

ほとんど出オチなのだが,
「ナニワの,ナニワの男と女」が,耳に残る。
耳に残りやすいフレーズと,
隠喩を散りばめた内容で,
ゴールデンにも適した内容。
関西の人からは反感を買いそうである。


パラレル妖怪図鑑シリーズ



基本的にシュールで,
奇妙な習性をもつ妖怪が出てくる。
正直どうでも良いが,
そこがまた良い。


ナースのお勤めシリーズ



ナンセンスでハイコンテクストなコントである。
完全にナースのお仕事を参考にしているが,
実際にはナースでなく,風俗嬢である(どういうジャンルに属するのかはわからない)。

ナースのお仕事を見ていた世代にはドストライクで,
あーぜーくーらーという謎の名字や,
松下由樹にちょっと似てる感じが笑える。


ニジマスの精霊

これは,前にyoutubeかなにかで見たのだが,
ニジマスの精霊という口器がストロー状で,
気色悪い生物が出てくる,
シュールとナンセンスを極めた実にハイレベルなコントである。

たしか,番組ではレッドカーペットで落とされたネタか何かそんな感じで紹介されているのだけど,
そういう背景を持ってネタを見ると,
わざわざ,レッドカーペットにこのネタを持っていくこと自体,
インスタントな笑いを追求することへの,
反抗心が現れているような気がして,実に深い。
皮肉なことに,朱実ちゃんは一言セリフみたいなのが評価されてしまっている訳だが。


以上,多分考えすぎ。

2014年9月4日木曜日

SNSがむしばむ想像力

先日,日経のweb版に載っていた菊池成孔さんの記事がとても良かった。
紙面には載っていたのだろうか。

普段,新聞はipadで読んでいて,
ほとんどwebページは見ないのだけれど,
web版は1面2面...に,あまり左右されずに見出しがついていて,
新聞を読んでいたのでは拾えない情報に出会えたりして,
それはそれで価値がある。

記事の内容で私がとても共感したところが,
物事に打ち込むには、沈黙が必要で、ため込む時間がいる。なのにSNSで毎晩、毎分のようにコメントしていたら、時間なんか作れない。
というところ。

論理的に説明したいのだけど,
感覚的,経験的にしか出来ない。

ずいぶん世の中は便利になって,
情報伝達も早くなっているはずなのに,
人間の方はより賢く,創造的になっているのかという疑問は,
この辺りから来ている。

うまく説明するには,
自分の中での消化と,表現力がまだ足りないのだけれど。

2014年9月2日火曜日

予想外に晴れた

昨日の天気予報で今日は雨だと聞いていたから,
昨日は雨のつもりで今日の準備をしたのだけれど,
起きてみたら,一転,雲一つない秋晴れである。

やられた。
気分は良いのだけれど,本当なら晴れの日にはやりたいことが 2, 3あったのだった。


予定通りを望み過ぎ

この野郎と,天気予報のせいにするのは簡単なのだけれど,
なんだか,予定通りになることを望みすぎていたのかなと反省した。

ドラマの次回予告のように,
明日の天気も予定通り来るような感覚になってしまっていて,
それは,天気予報の精度を過信し過ぎだし,
自然を甘く見過ぎかなと。
本来,とくに日本のように気象が激しいところだったら,
天気悪すぎ,もう無理,お手上げ,的な,
自然への畏怖があるだろうし,実際にあったのだと思うのだけれど。

なんだか,私は大震災を経験したはずなのに,
まだ,心のどこかで,自然とはコントロールが可能な事物のように思っている節があるようだ。
科学のゴールとして,コントロール下に置けることは,
目標とすべきなのだろうけれど,
もし,そうなったときには社会はどうなってしまうのだろうか。
もっとずっと,無機質で明日も明後日も波風の無いものになってしまいそうで怖い。
それまでに,もっとずっと,社会が成熟すれば良いのだけれど。

ともかく,こういう驕りは,自然の観察する者としては,
本来の物事を見逃す慢心につながりかねない。
あかん。

2014年8月19日火曜日

盆など

盆が終わりました。
すっかり,夏も終わりの様相で,ちとセンチメンタルな訳です。

いつも通り盆は,山ほど仕事を抱えて,実家に帰省したが,
結局,したのは虫の世話くらいで,
仕事は全く進まず,
後は漫画を読んだり,本を読んだりしていた。

何だか,田舎と都会では,
時間の進むスピードが異なる。
都会(というほど都会でないけれど)では,
何か手を動かしていないと罪の様な強迫観念に襲われているのだけれど,
田舎へ行くと,それが無い。
都会では社会の中で生きられるかが問われる一方,
田舎では自然の中で生きられるかが問われていることに起因するのだと,
私は分析している。
その辺りは思うところがたくさんあるのだけど,
まとめるパワーが無い。そこに割けない。


漫画「サンクチュアリ」



社会の表と裏から,日本を変えていこうとする若者二人の熱い,任侠アンド政治漫画である。
急進的思想の私とっては,読後,
謎の胸の高鳴りが起こる,
実に熱い漫画であった。

漫画の中で,いくつかの政策が立てられたりするのであるが,
それは必ずしもそれ自体が目的となっている訳ではなく,
何らかの起爆剤として,あるいは交渉の材料として用いられる場面が多々ある。
そういった謎の駆け引きを見ていると,
今ある政治のゴタゴタの舞台裏も想像かき立てられる。