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2014年4月13日日曜日

新年度が始まりました

4月になって新年度が始った。
祖父の四十九日や高知での学会や引っ越しが,全て終わって,何だか肩の荷が下りたようで,ローポジティブな状態になっている。春の日和も相まって,心地よい。

今思えば,昨年末くらいからはずいぶん無理をしていたのだなと感じる。様々なことを受け流すことが出来なかったし,不安に勝てなかったし,自分の将来を相対的な尺度でしか考えることが出来なかった。何をするにも,自分の身を削らないでは出来なかった。

この辺,今は根拠の無い自信というやつで,こころの平安が保てていて,実にグッドだ。

高知での学会

高知はなかなか良かった。最初,街中の路面電車の乗換がよくわからずに,あくせくしたけれどそんなことは,自然や歴史など他の優れたことに比べれば大したことはない。

初めて見る,四国の林は私が育ってきた東日本のそれとはずいぶん違って,私の目にはとても面白く映った。また,山の斜面にはそこかしこにニホンミツバチの巣があって,どのように活用しているのか分からなかったけれど,実に興味深かった。

本当は,馬路村の農協のやり方にとても興味があって見に行きたいと思っていたのだけど,真面目に学会に出ていたし (?),学会後は別件で早く帰らねばならなかったりで,叶わなかった。

地方の魅力

丁度,「里山資本主義の経済」という本を読んでいて,まだ,頭の中が整理されていないけれど,地域の独自性というものがこれから価値を持ってくるのか,いや,私の願望として持ってほしいと思った。

こころが落ち着き始めているところで,徐々にインプットを増やし始めていて,ようやくアウトプットも少しは出来るようになってきた。このままローポジティブからハイポジティブに持っていけるよう,自分を律して量的,質的に優れた生産を心がけたい。

2013年4月28日日曜日

インド忘備録3 〜クソゲストハウス編〜

私は今回インドへ5日間滞在した。

そのうち2晩は寝台列車で過ごし,
3晩はゲストハウスへ泊まったのだった。

うち1晩はブッダガヤーのshanti guest houseというところへ泊まった。
インドの1泊の相場と比べると若干高い印象だったが,過ごしやすい部屋と美味しい食事で旅の疲れを取る事ができた。

インドでは後述の様に,何かとコミッション (手数料) を上乗せして,
親切っぽい事を過度にしてくれるんだけど,
(大抵の場合は自分でやった方が安上がりなのだが)
そこの主人は,あまり干渉してこず,
とても快適であった。
ホームページを自作するくらい情強の主人だから,そういう小細工は不必要なのだろう。

近くにある,hari cafeというカフェは,
蚊は多いがこれまた美味であった。
抑揚の強いインドのポップミュージックがかかっていて,
私がそのメロディと歌詞を
ハレハレ〜 ハレハレ〜♩
と真似すると多分同じ年代くらいの若い店主にウケた。
こやつとは上手い酒が飲めそうだと思ったが,
滞在期間が如何せん短じか過ぎた。
そもそも,インドで飲酒はよい行いでは無い。

とにかく,ブッダガヤーは良かった。


クソゲストハウス

そのあと,私はバラーナスへ行った。
宿は決めていなかったが,リキシャーマンがやはりコミッション目当てで宿の斡旋をしてくる事が分かっていたので,
それに頼れば良いと考えていた。

バラーナス駅から,同行者4人合わせてガートの近くのゲストハウスへ100Rsで連れて行ってくれるというので,
それに乗った。

そして,連れて行ってもらった先が,本題のクソゲストハウスである。

バラーナスへ着いた時,
とにかく,私たちは疲れていた。
早く休みたかった。
着いた宿は一向の4人に対して,3人分のベッドしか用意できないということだったが,個室だし即決した。

宿で夕飯を摂って,私は部屋へ,
一行の何人かは外へ買い出しへ出た。
これがいけなかった。

全員が部屋へ戻り,程なくすると,
ゲストハウスの支配人が部屋へ怒鳴り込んで来た。
私達を先ほど乗せたリキシャーマンが,ゲストハウスを揺すりに来ているという。
なんでも一向の1人が外へ出た時,たまたま私たちを乗せたリキシャーマンに出会い,
一泊の代金を正直に話したのがいけなかったという。

イミフ。
ここからは私の推測だが,
リキシャーマンはゲストハウスまで旅行者を連れて行くと,コミッションがもらえる。
おそらく,この値段は一泊の料金の何%とかいう様に決まっているんだと思う。
だから,一泊の値段を話したのが悪かったと。

このことで,異国まで来てひどく悪い事をしてしまったのだと,とても落ち込んだ。

気付く

しかし,思い返してみれば,たとえ一泊の代金を告げ口してしまったとしても,
宿が適正なコミッションを支払っていれば,別に揺すられる事も無いのだと思う。

リキシャーマンがわざわざゲストハウスを尋ねてきたのは,
貰ったコミッションと,一泊分の料金に齟齬があったからで,
そこのやり取りに客が巻き込まれるというのは,やはりイミフ。

なんとも後味の悪い経験となったのです。

2013年4月8日月曜日

インド忘備録2 〜オートリキシャー編〜

インドでの移動は、
専らオートリキシャーがメインでした。



オートリキシャーはちょうどバイクの後ろに,屋根のある座席をつけたような乗り物で,
自転車の後ろに座席のついているだけのリキシャーと区別されます。


基本的に運転手さんは陽気で良いのですが,目的地まで連れて行ってから,乗車料金が跳ね上がったりするので,まともに気にしていると,心が持ちません。
陽気に歌など歌ってくれるのですが,歌代を請求してくるのではとか,余計に不安感を煽ります。

経験的に大人しいリキシャーマンほど,穏やかな運転でリーズナブルな料金にしてくれると思いました。


これに乗って颯爽とインドの街を抜けて行く感覚を何処かで体験したことがあると思いましたが,
ちょうどディズニーシーのアトラクション,インディージョーンズ何とかでした。


ディズニーシーにあるインディ・ジョーンズ クリスタルスカルの魔宮でした。


朝日の中オートリにシャーに乗って,悪路を猛スピードで駈けていくのは楽しかったなぁ。
もっともどこに連れて行かれるか分からない不安で,顔は笑っていても心は青ざめていたのだけど。

2013年3月15日金曜日

インド忘備録 〜対エージェント編〜

インドで起きた出来事をぼちぼちまとめたいと思います。

ニューデリー駅の電光掲示板


地球の歩き方には,
タクシーに乗るとツアー会社に連れて行かれて,高額なツアーを組まされるとか,

駅には駅員らしき人が居て,チケットを見せてと言ってきて,
持っていないとチケットはここで買うんだと,ツアー会社に連れて行かれて,高額なツアーを組まされるとか,

そういう事が書いてありますが,
それらはすべて本当です
僕も連れて行かれました。

しかも,かなりの密度で居るため,
話しかけられる人に正直に着いていけば,
首尾よく,お得とは言えないツアーを組む事が出来ます。

しかも,日本人は良いカモとみえて,
ちゃんと日本語スタッフも居ます。


巧妙なケース

こんな巧妙な手がありました。
何処か気の休まるところはないかと,
マックで一休みしていると,
隣のお兄ちゃんが気さくにペンを借りてきて,
その後,何処から来たかとか,
何処へ行くのかとか会話し,
アーグラーは絶対行った方が良い,
良いバスを教えてやろうか,
など,この辺にくれば,
おやおや,こいつも何やら怪しいぞと思うわけですが,
やはり,親切心は無碍に出来ないのが日本人。
気がつくと,ツアー会社の奥まった部屋に居て,
たくさんのインド人スタッフと日本語も話せるスタッフで心理的アドバンテージを向こうに握られたまま,ツアー交渉を迫られる訳です。

こんな状況では,
さっきと値段ちげーしとか,
やっぱり僕らそこ行くのやーめたとか,
気軽には出来ない感じになっていて,
実に上手いと思います。


これを初日に立て続けに経験したので,
まずインドでは誰も信じられなくなってしまいました。
当時は,クソ騙しやがって,という心境でしたが慣れた今では意外と冷静に価格交渉できるかもしれません。

ニューデリー駅からの朝日は我々にとって光明にも思えたが...


意外と騙しても居ないのかも

計2回それぞれ違うツアーの事務所へ連れて行かれて,
一方は完全に回避したものの,
一方では,一人1,300 Rs (日本円で¥2,000くらい) でデリー市内をタクシーをチャーターして一日周るツアーを組んでしまいました (日本人的には安く感じるけど,相場はもっと安い)。

(他にも車のツアー¥1,5000,電車の切符 価格不明を迫られたが断る)

でもツアーでは確かに,
デリー市内の主要観光スポットへ連れて行ってくれました。

少し多くのお金を支払うけれども,
仕事はちゃんとしてくれているので,
(1)勧誘の方法
(2)ツアーを組ませる時,少し嘘をつく事
を除けば,仕事はちゃんとしてくれるのかもしれません。


模範解答

という経験を踏まえて,
じゃあ,あの時どうすれば良かったのかという事をまとめたいと思います。

其の一

話しかけられても,あまり深入りしない。
タクシーで目当ての場所でない時は降りない。
駅のホームに入るのにチケットは必要無い()。
案内してやるとなったら,
連れて行かれる可能性が高いので,
他の事に気を取られてしまった風で,
別の店に入ってしまうなども手かも。

其の二

自分で現地の旅行のプランニングなど出来ない場合や,
エージェントとの交渉を楽しみたい場合などは,
恐らく仕事は確かなので,ツアー会社にはいるのも良いのではないかな。

大抵,交渉の部屋は事務所の奥まったところにあるけど,
そういう心理的プレッシャーには負けずに,
言い値が受け入れられない時には,
帰るモーションを見せたりして価格交渉を楽しむといいと思うゾ。
第一気に入らなければツアーを組まなければ良いだけなので,
交渉の歩はこちらにあるのだから。


最後に注意

話しかけられることをあまり気にしない場合,
無視に近いような素振りになることもあるかもしれません。

私の体感では20人に1人くらいですが,
本当に純粋な善意で助けてくれる人も居りました。
すべての挨拶や行為を,
悪意と一緒くたにしてしまうのは実に失礼だと思います。

インド旅行には,
あらゆる人の触れ合いを一度受け止めて (あるいは流して),
相手の出方を伺いながら,
好きあらば逆に騙し返してやる位の心の余裕が必要なのかもしれません。

2013年3月13日水曜日

インドから帰ってきた

インドから帰ってきました。

ガンガーからの日の出

幾度もツアー会社に騙されたり,
コミッション目当てで沢山声を掛けられてうんざりしたり,
細菌性の下痢に罹ってピンクいものを吐いたり,
悪いこともありましたが,
総括するとスリル満点で楽しい旅でした。


私の心に引っ掛かっている事は,
あの時こんな風に振舞えばもっとずっとうまく行っただろう,
という旅の向上心に似た気持ちで,
生粋の挑戦心と好奇心により,
不覚にもまた行きたいと思ってしまっています。

インドはとにかく混沌としていて,
簡単には様々な事の整理がつきそうも無いので,
気が向けば,諸々を整理して書き留めたいと思います。

2013年3月4日月曜日

インドへ

私が小学生の時に買ったリュックは今も現役です。



インドへ出発です。
どんなことが起きるか,わくわくです。


2012年7月23日月曜日

鎌倉へ行ってきた 其の二

第2部はほとんど食べ物の話。

北鎌倉で消費した精神ポイントを回復するべく、あんみつを頂いた。外では丁度縁日をやっていて、窓越しに聞こえる太鼓や笛の音色が夏らしさをいっそう引き立てた。



夜はやっぱりビールを飲んだ。
ギネスとハイネケンとハートランドを飲んだ。やっぱりスタウトがよい。
途中で頼んだ生ハムの切り落としは薫製の香りが強くて、スーパー等で買ってくるのとは格が違った。ビールとの相性は最高であった。




明くる日

江の電に乗り、江ノ島界隈をふらふらした後、再び江の電で鎌倉を目指した。


江の電へ乗っている間、あたまの中にはずっとサザンの歌が流れていた。
とりわけ、君こそスターだという曲の「稲村ケ崎は今日も雨」というフレーズは何度も頭をリピートした。思い返してみれば、サビは一度も脳内を流れなかったな。



由比ケ浜で

海水浴気分を味わった。私は海へは入らないで、前衛的な山を造る事に集中した。
隣では若い高校生くらいの女性パーティーに、同じ年齢くらいの男性パーティーが押しては返す波のような駆け引き(やかましいわ)をしていた。




イヤならイヤではっきりとすれば良いものを、先伸ばしにする女性パーティーの態度からまんざらでもない様子を感じ取った。


なぜ、日本の人口は減少するのだろうか。


そして、鎌倉駅へ


旅程の最後は鎌倉駅で締めくくった。
以前来たときは、江の電の改札から出てすぐのところを少し探索しただけだった。今回ぐるっと鎌倉周辺を歩いて理解した事は、東口周辺が一番の繁華街であるという事だ。
たぶん、これは鎌倉を訪れるものはみな、事前に調べて知っている事と思う。


イワタコーヒー店というホットケーキがとても有名な喫茶店へ行き、ホットケーキとアメリカンクラブハウスサンドと珈琲を頼んだ。
さすがにホットケーキが有名という事だけあり、厚手のケーキはとても食べ応えのあるものだった。


この後、無性においしいパスタが食べたくなったが、おいしいパスタ屋さんは見つけられなかったという事と、時間の都合により、生しらす軍艦巻を近くの回転寿司で食べてきたくした。

よく食べて、よく飲んだ旅であった。


2012年7月22日日曜日

鎌倉へ行ってきた 其の一

一泊二日で鎌倉へ行きました。
歴史に疎い私でも鎌倉と言えば、鎌倉時代と分かる程、歴史的に重要なところです(不勉強がありありと分かる)。
歴史的名所も備えつつ、湘南などのおしゃれスポットとも隣接していて、夏にはぴったりな観光スポットでした。

復習

・日本の中世、鎌倉時代の中心だったところです。
・鎌倉幕府が源頼朝によって開かれて、およそ150年くらい続きました。
・日本の歴史において、本格的な武家政権が始まったところです。

Key word: 鎌倉幕府, 源氏, 北条氏, 封建制度, 承久の乱, 元寇




鎌倉の歴史を見た

JR北鎌倉駅で下車し、円覚寺へ行きました。円覚寺は鎌倉幕府第8代執権北条時宗が元寇の戦没者を弔う為に建てたお寺だそうです(おぉ、私にもお寺のいわれが理解できてよかったー)。

お寺の建築物の造りには随所に宋の影響を受けた唐様建築がありました(往きに日本史Bの教科書を読んで勉強しました)。

とても庭が綺麗で、あじさいはぎりぎり見頃でした。

お寺の境内では、読経の声が響き渡っていて、禅寺らしいと思いました。


北鎌倉駅で下車して、徒歩でアクセスできるお寺が円覚寺の他にいくつかあります。その中でも有名な建長寺へ行くことに決めました。


途中にはいくつかおしゃれ路地裏がありました。写真を撮っているとそこで生活をしている人たちが、撮られる事に慣れた様子で歩き去っていきました。


多くの人が撮りたくなるのが無理も無いくらい素敵な町並みや息づく人の人並みがそこには在って、とてもうらやましく感じました。



しばらく歩いて行ったところにとてもシュールな無人占い屋さんが在りました。

占いの隣には警察の「この近辺で商売をしてはならない。」という警告を書いた看板がありました。そんな圧力にも屈せず、それはありました。
シュールを超越して、何か近寄ってはならぬ気配すら感じました。



もしお金を払ってこれを見て、辛辣なコメントや呪われるといった類いの事が書いてあったら、今回の旅行は台無しです。
でも、ここでこれにチャレンジしなければ負けです。


私はお金を支払い(写真右側のポールが料金入れです)、茶封筒を一枚ひきました。
不安を感じつつ、開けてみました。


当たり障りの無い、とっても良い事が書いてありました。
明日から一週間また頑張れそうです。


(占いでかなりの精神ポイントを消費した為、この後、建長寺へ行くのはやめました。)



2011年10月29日土曜日

北京へ行ってきたよ 観光編パート2

続きです。

今回は夜の北京に繰り出した時の様子です。


夜タクシーで何とかという古い町へ

北京の夜は想像していたよりもずっと明るかったです。
タクシーも割増料金みたいなものは無くて、便利でした。



タクシーの中から“股骨”という文字に反応して写真を撮りました。



タクシーを降りて少し歩きました。
地元の人が普通に生活している雰囲気を体感できて嬉しかったです。
病院とか



その横で将棋をしているおじさんたちが居ます。
家の中でやれば良いと思いました。



町へ

夜中だというのに、若者を中心にまだ沢山人がいました。
町並みこそ古いですが、雰囲気的には日本の原宿のようだと思いました。



えらく古い看板があったりして、看板フェチの私には垂涎ものでした。



喉が乾いたので、道行く人が飲んでいるドリンクを買いました。
この店の看板には「トウモロコシの汁は売ってないですよー」と書いてあるらしいです。実際にはトウモロコシの汁を売っています。チャイニーズジョークでしょう。
理解不能なジョークに私の気分はひどく滅入ってしまいました。



とはいえジュースは買います。
調理風景を見ていると、どこからとも無く水が登場したりして、飲んだらおなかを壊すのではととても不安になりましたが、この時点で学会の日程は全て終了していたので意を決して飲んだのでした。(大丈夫でした)



尿意を催します。




トイレの中は至って普通ですが、大の方の絵柄がとても印象的でした。
間接的で、回りくどい表現を好む日本とは対照的ですね。


この後、タクシーを拾ってホテルに帰りました。


翌日故宮へ

移動は地下鉄を使いました。
2元でどこまで行けるのでとてもリーズナブルだと思いました。



天安門の辺りです。
テレビで見た事があります。天安門です。
天安門の前は地方から来た観光客が一杯居て、彼らは皆赤い帽子をかぶっているので、天安門前を赤い一軍がパッチ上にうごめいています。荘厳です。



公安はセグウェイみたいなかっこいい乗り物に乗っています。



チェアマンマオです。



門をくぐると
また門があります。


以前首里城を観た事がありましたが、その何十、何百倍の規模で思わず「チャイナ・・・」ともらしてしまいました。


門の屋根の両端には獣が並んでいます。

この獣の数は身分を表しているらしく、自分の身分相応の獣の数の門までしか入れなかったそうです。右は最高クラスの門で王と限られた人間しか入る事の出来ない場所で、獣が11(?) 居ます。


王の寝ていたところらしいです。



像ちゃん。



この後故宮の近くの王府井で少し買い物をして、飛行機に乗って帰りました。
もともと観光が目的で来た訳ではないのでしょうがないですが、まだまだ北京には素晴らしいところがあるみたいで、また行きたいと思いました。

そしてそのときにはもっと歴史を学んでから廻りたいと思います。
---観光編終了---


最終章 まとめ編

北京へ行ってきたよ 観光編パート1

前にも書いた通り期間中はほとんど缶詰状態だったので、ほとんど観光は行けるはずも無く実質1日程度しか外には出ていません。

そんなキツキツスケジュールだったけど、
万里の長城とか鳥の巣とか、よくわからない古い町並みだとか、故宮とかへ行けたので少し満足しました。


万里の長城

長城というだけあり、超長くて、超いっぱい人が居ます。
地方から来た観光客はみな赤い帽子をかぶっています (この記述を覚えておいてください)


何百メートルかに一度、屋根のある場所があります。
中から上を覗くとこんな感じで花が咲いていたりして、思わぬおしゃれスポットになっていたりします。


遥か先まで続いているので、果てまで行きたいとかそういう思いは全く沸きませんでした。疲れて帰りはロープウェイを使いました。
山肌に毛主席なんとかと書いてある
参道から駐車場までの間スペースには、土産物屋が乱立しています。
後から思った感想ですが、もしどうでもいいマグネットとか置物とかが買いたいんであればココで買うのがかなり安いと思います。

ただし、私は中国の方に値切りをお願いしたので良かったですが、最初かなり法外な値段を吹っかけられます。
例)初期 マグネット (40元) → 値切り後 マグネット (2個で15元)


おしゃれお兄さんがおしゃれな絵を描いたりしていて、おしゃれ感化されたりします。


鳥の巣

鳥の巣付近へ入るにはまずセキュリティーを突破せねばなりません。
無論、普通にしていれば捕まる人など居ません。


すると、前方にヤバいクリーチャーを見つけてしまいました。
噂には聞いていましたが、本当にいるとは。
ご覧ください。


目のところからうっすら中が見えるのがまた恐ろしいです。
この時私は完全にカモとしてロックオンされたらしく、500mほど付きまとわれます。
ちなみに付近にはこのタイプのクリーチャーの♂も居て、時折脱皮して中からおっさんが出てきて一服しているという戦慄の光景を見る事ができます。


そして鳥の巣へ
近くで凧をあげている人がいっぱいいます。そして凧を売っている人も居ます。

場内には謎のクリーチャーや凧を売っている人や、歌が驚く程美味くてでも腕の無い人や様々な人が居ます。社会保障が充実していないと(共産主義だから充実してるのか?)このように、どんな手を使っても生きてゆくんだなと、人間の力強さを感じるとともに、少し切なくなりました。



最後に

本当は観光編は一部で終わらせるつもりだったんですが、
思いのほか写真の枚数が多くてちょっと無理なので2部に分けます。

最後にトイレです。

こう見えてもなかなかハイテクな機能を完備しています。
ボットンでも水洗式でもなく泡式です。
ボタンを押すとひたすら泡が出てきます。ただそれによって泡と便とが混ざり合った、観るもおぞましい状態になっていて、ちょっと写真を撮るのはやめました。


パート2

2011年10月25日火曜日

北京へ行ってきたよ 食事編

さすが中国料理の本場だけあり、食材・調理法は非常に多様でした。
激ウマエビチリとか

ワンタンとか


麺であれば、すっぱ辛いスープだったり、


ジャージャー麺であったり

名も知らぬ麺であったり、味付けも非常に多様です。


肉料理も牛・豚・鶏・羊等を様々調理し、様々味付けしています。
とはいえ欧米の研究者に

“Everything tastes chili.”

と言わしめるほどにチリ味の占める割合が大きかったです。


中国料理を1週間近く食べ続けて思った

日本料理は中国料理と比べて、個々の食材の味や風味をとても大切にすると感じました。ざっくりとらえるのでネイティブの中国人には怒られそうですが、中国料理はいろいろを混ぜて最終的に美味くて、視覚的にも美しければOKというような印象を受けました。
一方日本料理は、あくまで最初の素材の風味が消えない程度に調味料を加えて、美味しく・美しく食べる感じがします。

なので、多分向こうの店員さんは親切でやってくれているんだと思うんですが、

「おいおい、そこでそれ入れ(足し)ちゃうんですか。」

みたいなもうすこし気を遣ってほしいと感じる場面がありました(言葉で表すのは難しいんですが)。
あぁ、日本人は食に対して結構神経質なんだな。




大抵はホテルに缶詰めだったけど

最後の1.5日ほどは、町へ出て食事ができました。
北京ダックを食べたり、
手際よくサッサとさばいていきます

ダックちゃん
中国風しゃぶしゃぶを食べたりしました。
日本と違って暖め方が非常に雑


要所要所でメラミン箸が出てきて、メラミン牛乳が頭をよぎりましたが、樹脂としての安定性は高かったはずだ(牛乳に混ぜるとかびっくりなんだけど)と言い聞かせました。



食事編まとめ


日本食と異なるところはあるし、基本脂っぽいけれども、医食同源が根幹にある料理だけあり、胃腸の弱い私でも一度もおなかを壊わしませんでした。そして何より美味い。



次回は観光編です。