2014年10月15日水曜日

入力の重要性

ここのところ,何かと忙しかったのだけれど,
どちらかと言えば調子がいい。
この理由を私は,継続的に知的な入力(読書)が出来たおかげだと思っている。

何かを読んでいると,結果的に読まない何かをする時間は減るのだけど,
何もしないでいたときの一定時間と,
読んだ後の一定時間では,
後者の方が頭がクリアーで,
よく思いつき,
生産性が上がる気がする。

やはり,読むということは,
知的生産の上では,基礎体力を付けるようなもので,
前々から多分何度も,そういうことを書いていると思うのだけど,
今日もそう思った。

最近は日本語の文章の読解はずいぶんとスピーディーに出来るようになって,
とても良い。
問題は英語の文章で,やはり,重要な点もくまなく読もうとすると,
スピードは遅くなってしまう。
以前よりは早くなっているけれど。


ピンボール

先日,1973年のピンボールを読んだ。


位置づけとしては,風の歌を聴けの続編的であるようで,
僕や鼠の話である。
これと,あと村上春樹のもう一作で三部作であるようだが,
ふと登場する直子や,
双子がビートルズのラバーソウルをかけようとするとひどく動揺する辺り,
ノルウェイの森との関連性を感じる。
ノルウェイの森は,ラバーソウル収録の一曲である。

それにしても,ピンボールに出てくる,スペイン語を大学で教えている人が,
自分の職業を評した言葉,
「砂漠に水を撒くような仕事です」
というのはなかなか言い得て妙であった。

学生が,最低限の労力で単位を取ろうと考えているところに,
いくら力を注ごうとも,砂漠に水をやるようなものかもしれない。

とはいえ,なぜ,知的好奇心の沸き起こらない,
砂漠のようになってしまったのかは,
教育者はよく考えねばならない。



0 件のコメント:

コメントを投稿