2015年2月18日水曜日

CD買う

本日は,でんぱ組のアルバム「WWDD」の発売日であったので,買った。
アマゾンは,きちんと発売日に届けてくれるのですね。


わたしは,アイドル音楽をなぜかよく聞くのだけど,
もともとは,昭和のアイドル歌謡をよく聞いていたのがきっかけだと思う。
わざわざ,こういう音楽を聴く理由は,
アイドル歌謡にはその時代の音楽の粋が集まっているからである。

でんぱ組のわりとキャッチーな曲の多くを玉屋2060%という人が手がけているのだけど,
これが耳に残って何度もループする。
もう,アイドルへの楽曲提供では売れっ子になってしまったけれど,
前山田健一さんの楽曲も含まれており,聞き応えがある。

音楽家,作曲家というとまずシンガーソングライターのイメージが,
わたしの中では先行するのだけれど,
こういう人たちの作品を聴いていると,なるほど,
作曲家が英語でcomposerたる所以が分かってくる。

ちなみに,多少癖はあるが,これの前のアルバム「World Wide Dempa」も良い。

2015年2月2日月曜日

雑感

大仕事はおおよそ片付く。
いま,持てる力はおおよそ出し切ることが出来た。
とくに根拠は未熟だけれども,手持ちの証拠から類推して得たアイデアについては,
わたしはかなり信憑性が強いと思っていて,
これはわたしの余命(研究者としての)があるのならば,
数年のうちにまとめたい仕事である。

また,これは気が向いたら書こうと思うが,
速読のコツを掴んだ。
いまのところ継続させての速読は30分程度が限界だが,
やはり一冊が早く終わるし,良い。

ランニングをするような意識で,
気分転換に読書が出来,その都度,語彙や文章構成の勉強にもなっていいこと尽くめである。

最近読んだ本


これは,コンピュターサイエンスの人たちが,
パーソナルな仕事を自前 (DIY) でやってITが隆盛したように,
バイオについてもDIYでおこなってやろうという,
科学者やらスタートアップやらの話を集めた本で,
わたしにとってはエポックメイキング的な位置づけになりそうな本である。
ケーススタディが多く,
哲学的,あるいは方法論に充実した本ではないが,
そもそもバイオパンクという発想自体が一読に値する。




梅棹忠夫さんの本の続きとして読む。
本当は先日の,知的生産...よりもこちらを先に読もうとしたのだけど,
知的生産技術の必要性があったので,
あちらから読むこととなった。

日本,ヨーロッパとその他アジア・中東の文明をそれぞれ第一,第二地区と分類し,
その起こりを,著者の生態史観で洞察した本書は,
ある分野で培った頭の使い方(この場合生物学)を,
全く別の分野における発達で見事に使いこなしているという点で,
わたしの目指す方向性と合致していて,
大変興味深かった。
知的生産...の成果というのをかいま見ることが出来る。


それにしても,ちょうど文明の起こりを洞察する本書で,
中東の辺りを読み進めている頃に,
大変痛ましい事件が起きてしまった。
痛ましいことが “既に起きてしまった” いま,

テロ批判,カルト批判
政権批判
自己責任論
宗教問題
クソコラ問題など

これから議論が進んでいくであろう問題は,複雑に絡み合っていて,頭が痛い。
いくつかの問題は,相対悪と絶対悪の問題や,
見方によって批判と賞賛という異なる評価を受ける行為など,
正義とは,悪とは,
あるいは良い行いとは何なのかということに対して,
問題を投げかけている。

様々な記事を読んでいて,自分の意見と一致するものもあれば,
全く同意できないものもある。
わたしは,同意の出来ないものであっても一方的にそれを排除することには賛成しない。
いずれにせよ,精神も生存も恐れの下になく,
それぞれが自分の考えていることを自由に語ることの出来る社会は,
大変重要である。

人間が人間であるための自由は,
命をかけてでも守られねばならない。

(30分くらい)

2015年1月16日金曜日

速読のコツ

本日,初めて速読のコツを掴めたような気がした。
いくらやり方を読んでもピンと来なかったが,体感してみると,
なるほど,こういう意味だったのかという感じ。

明日も試してみる。

2015年1月15日木曜日

年末年始・読書・雑感

年末年始,今年は連休が取りやすく,
それを余すこと無く使い切る形で,休みを取る。

長野の陽気は,実にゆったりとしていて,
それに,こたつの魔力も相まって,
いつものことながら,持ち込みの仕事はてんで進まず。

本を2冊読む。



それから,宮沢賢治のグスコーブドリを久しぶりに読む。

紅白のくわっちょのパフォーマンスや,
フランスの風刺画の問題など,
表現の自由とその範囲,受け手の解釈などを書きたいと思ったが,
上手くまとまらず,
その内に投げ出してしまった。

(10分)

2014年12月24日水曜日

文章で描写することの大切さ

戦後くらいまでに書かれた純文学などを読んでいると,
自分自身の文章能力と照らし合わせて,
このようには書けないと感じることがあります。

先日,この違いがどのようなライフスタイルの変化に起因するのかを考えてみたのですが,
言葉よりも率直に伝えることの出来るツールが増えたためではないかと思います。
それは,写真であり,音楽でありです。
五感を使って認識する様々な外界の物事を,
言葉を介さずに直接見せたり,聴かせたり出来るようになりました。

個々最近,スマホが普及して,
そのようなことはより簡単にできるようになりましたから,
言語を介した表現力はこれからより一層衰退していくかもしれません。
だって,心に残るような写真を見つけたら。
「すごくない」といって見せれば事足りるのですから。

スティーブン・キングは,
「ことばというものは、ものごとの重要性を減少させてしまう」と言いました。
これはその通りです。
やはり,五感に訴えかけるものは,
それを直接提示できるのならば,それに勝るものはありません。

けれども,やはり,ことばの情報量や描写力というのは大変優れていると思います。
ことばは,五感以上にその人の文化背景を反映します。
何気なく使っている言葉の中には,暗に隠されている文脈がたくさんあります。
そういったものをたくさん含んでいるから,
最終的には,写真一枚よりもその光景をつぶさにあらわしたことばの方がより一層,
情報を持っていると思います。

ことばは,異なる思考や文化背景を持っている人同士が,
意思疎通を図るための唯一の手段だと思います。
様々なツールは私たちのグローバル化を助けてくれるけれど,
結局細部の詰めは必ずことばに行き着きます。

そして,そのことばは必ずしも共通の言語である必要はないのではないかと思います,
一番には自由に使える言語があるということです。

(10分)



食事と読書のアナロジー

知的生産の技術を読み終わった。
この技術というポイントは,知的生産のみならず大変重要なポイントだと考えている。

最近感じるのは,
ある現実的な目標達成に必要なのは,
情熱と技術だということである。
情熱を努力によって燃やすことは出来ないが,
技術というのは個人の努力によって,大抵のところまで訓練できる。

よく技術あるいはスキルと言った方が良いかもしれないが,
これを才能とひとくくりにしてしまう人がいる。
確かに技術習得において,才能は重要であるけれども,
現実的な問題を対象とする場合に,
才能が必要なほどのスキルを必要とする場面はむしろ稀である。

技術を身につければ,だれでも知的生産をすることが出来るということで,
何も,高度に訓練された人のみに許された特権ではないということである。

食事と読書のアナロジー

本の中で,それについての記述が少しあった。
筆者の考えであったか,もしくは誰かの引用であったか忘れてしまったけれども。

長い距離を走る。あるいは,筋トレをする。
何れにしても,自身が飢餓状態にあったのではままならない。
栄養状態が良いことが前提である。

知的生産に関しても,トレーニングをしようとするならば,
それなりに知的栄養状態が良くないとならない。

そういった意味で,
運動には食事が必須だし,
知的活動については読書が大切なのだという意見に,
同意しました。

2014年12月22日月曜日

英語長編論文・人魚の珈琲屋

長編の論文がようやくある程度にまとまってきた。
私は英語の文章を書く時,最近は英語で考えて書くことを心がけているのだけど,
今回は長編を書くにあたって,
英語では上手く論理が構築できなかったので,
日本語で結講格子をしっかりと作ってから英訳した。
今夜以降は細部の推敲にいよいよ入る。

やはり,自由に使える母国語というのをまず構築することが,
他の言語を操る上でのマストである。
これは,2カ国語以上を操るという環境で育たなかったものの場合で,
早くから様々な国で生活する必要のあった人には当てはまらないかもしれない。
話は飛躍するが,自由に扱える言語がないうちから,
グローバルという空虚な目標の名の下に,
英語を初等教育から始めるのには断固反対である。
まったく。

今週,人魚の珈琲屋で作業するのは一週間に2度目となる。
人魚の珈琲屋でドヤ顔で仕事をするやつがうざいという批判はあるが,
その批判はまったく筋違いである。

人魚の珈琲屋やその他チェーンの珈琲店は,
家でも仕事場でもない,第三の場所を提供していることに価値がある訳で,
そういったところで,高くて甘い珈琲を買って,
ただ帰るのでは本来の価値を享受しているとは言えない。

(15分)

文章にして書き留めること

たとえ,一文であったとしても,
見たことや感じたことを,
きちんと主述のはっきりとした文章にして残しておくことは,
大変重要なことである。

従って,出来るだけ感じたことを書き記したい。

とても当たり前のことしか書いていないが,
今日このように思ったのは,
梅棹忠雄著「知的生産の技術」の一説,

自分だけにわかるつもりの,メモふうの書き方は,しないほうがいい。1年もたてば,自分でもなんのことやらわからなくなるからだ。自分というものは,時間がたてば他人とおなじだ,ということを忘れてはならない。

という言葉がひどく心に響いたからである。

たくさんの仕事を抱えていて,
私は,知的好奇心を満たす方向へ,
読書をすることで逃避している。
今週は仕事納めに向けて,やり遂げないとならないことがいくつもある。
頑張って,良い年越しをしよう。

(7分)

2014年12月19日金曜日

画策

本日は,面白そうな情報を入手したので,
協力してもらえそうな人たちに連絡した。

様々な仕事が山積しているので,
先に片付けていかないと,
また,手を出しすぎて疲弊するいつものお決まりのパターンになってしまう。

どうでも良い案件は無視しよう。

(3分)

2014年12月17日水曜日

奇抜な事

大して奇抜じゃないのだけれど,
少し違うやり方をしたら,
変わったことをするのはやめなさいと注意されてしまった。

周りに合わせるということはとても大事なことだけれど,
合わせることと合わせないことの意義とをあまり考えずに,
他人がしていることだから良いことであるとしてしまうのは,
煩わしさと引き換えにいろいろな価値を見過ごしているのではないか。

集団主義の日本の良い面もあるので
あらゆるケースで 個性を主張し続けることは求めないが,
せめて知識労働をするような人々は,
一つ一つの行動の意味について少し考えても良いはずである。

―老いて頭が固くなってしまったときのための自戒―
(5分)

年末感

今年はいつになく年末感が無い。
もうあと今年も2週間しかないというのに,
まだ11月くらいの気分である。

師走というだけあって,本当は忙しいはずなのだけど,
緩急が大変良く付いていて,
仕事と余暇のバランスは良い。
しかし,新しい事にチャレンジしようとするには,
もう少し余暇があったら良いかな。

大仕事が目の前にあるのだけど,
なかなか火がつかない。
どうしても小仕事ばかり,先に手をつけてしまい。
いつも大仕事の方が後回しになってしまう。
そろそろ,大仕事の方を本腰を入れて片付けないと,
いよいよ大変なことになってしまうよ。
取りかかりが遅くなって,挙げ句の果てに仕事の品質を落とすような事は避けたい。

そういう意味では,投稿論文というのは幾分か気楽かもしれないと思った。
ある程度 “決まり手” というのがあるから,詰将棋じゃ無いけれど,
ゴールというのはある程度見通しが付く。

もっと大きな仕事というのは,
見通しが付いても,もう少し出来るかもしれない,
というのが続いて際限なくゴールが先に延びていって,
いつになったら終わるのか分からなくなってしまう事がある。
これは,人生にも言える事でしょうか。

ともかく,大風呂敷を広げたまま仕舞わないというのは,
これは何もしなかったと同じ事です。
終わりよければ全てよし。
首尾よく始めることだけでなく,綺麗に終わることにも注意を払って,
今年一年と来年を 迎えたいものです。

(10分)

2014年12月1日月曜日

ディギン・イン・ザ・カーツ

遅きに失した感があるが,
レッドブルミュージックアカデミーの「ディギン・イン・ザ・カーツ」が素晴らしい。



全何エピソードあるのかよく知らないけれど,
私は時間を見つけつつエピソード3まで見た。

日本のゲーム音楽をまとめた話だけど,単純にゲームのBGMとしてではなく,
多くの現代のポップに影響を与えているようで,
月並みな感想ではあるが,すごい。

これらの音楽は,音楽経験の長い人たちが作っていたというよりかは,
若い人が,自由に裁量を与えられていたようである。
やはり,若い人に自由にやらせるということも大切なのだと思う。


ファミコンの思い出

私が物心着いたときにはファミコンが我が家にあって,
やり込んだスーパーマリオブラザーズは相当上手いと自負している。
次にゲーム機が来たのは小一の時,初代ゲームボーイを買ってもらったときで,
その次はプレステが来たときなので,
多くの同世代が経験している,スーファミや64を私は経験していない。

当時のゲームボーイはモノクロだし,
ゲームの複雑さで言ったら,それでもファミコンの方が上だったから,
私はよくファミコンをしていた。

だから,当時は気にもかけていなかったけど,
ファミコンの電子音というのはとても耳なじみが良いみたいである。

ディギン・イン・ザ・カーツは,ゲーム好き・音楽フリーク必聴・必視である。

2014年11月17日月曜日

TOEIC下がった残念

TOEICのスコアが,
リーディングが35上がって,
リスニングが40下がって,
5ポイント下がってしまった。

偽り無く,このくらいの実力という事ですね。
もっと伸びるよう,頑張りましょう。

2014年11月12日水曜日

無題

私の日本語力がおかしくなければ,
何ら衆院を解散するという文言は,
首相から出てきていないように思うのだけど,
なんでこんなに騒がしいの

忙しいのに,選挙とか意味不明。

2014年11月6日木曜日

割と忙しい

先週から本当に忙しくなってきた。
この忙しさは,少なくとも年内は続きそうである。

こういう,本当に首が回らないくらい忙しい時,
私はメンタルタフネスモードに入る。
具体的には,
ネガティブな言動を避け,
ミスをしても眉間にしわを寄せるような表情をせずに,

ポジティブに,
口角と頬の筋肉をあげる感じでにこやかに過ごすモードである。
これは,メンタルタフネスの表情や思考が精神に影響するという考え方に基づいている。

最近は,もうこういう忙しさを普通に乗り切れるくらいにならねばならないと思っている。
どうすれば良いのかはまだ分からないのだけど。

2014年10月21日火曜日

カメラ買ったった


私は,7年くらい前にNikonのD80を買ってずっとそれを使ってきたのだけど,
この度新しいカメラを買った。
D80は大変良いカメラで,私は普段これにパンケーキレンズを付けていた。
良い解像度で色合い良い写真が撮れるのだけど,
ちょっとした用途にはiphoneで事足りるし,
少し持ち歩きが面倒であるというのがネックであった。
だから以前からいいコンデジが あったら欲しいと思っていたのである。

また,最近は上手に写真を撮る人が増えていて,
アイデンティティが出せないというのも,
わざわざ一眼レフを持って出かける気をそぐものだった。
最近のカメラは大変性能が良くて,
シャッターを押せばそこそこの写真が撮れる。
別に私がとらなくても良い写真はごまんとあるのだ。

それでも,良い写真を撮りたいと思ったのは,
ひとえに件のプレゼン本を読んだからである。
良い,解像度の高い写真をスクリーン目一杯に出すのは,
シンプルな割に,非常にインパクトが大きい。
しかし,私はそういうのに手頃な写真を持ち合わせては居なかった。

これはプレゼンに使える!という写真に時折出会うことがこれまでもあったけれど,
そういった時は大抵カメラを持っていなかったし,
その時折のためにカメラを持ち歩くのは,
ミニマムな思想が染み付いてしまった私にはひどく骨のおれることなのだ。

陰翳礼賛



文豪 谷崎潤一郎は,日本,アジアの美と言うのは陰の部分に宿ると,
著書「陰翳礼賛」の中で説いた。
私も,日本で育った身であるから,
そういった感覚はよくわかる。

古い日本家屋の台所とか,
寺院の中とか,
外から屋内へ入ってみると,
たとえ昼間であっても,驚くほど暗いのである。
そういった暗い中において,
私たちの目は映し出すことが出来る,
黒ずんだ木の質感とか,
土間の重く寒い感じとかを,
私はこれまでカメラで映し出すことが出来なかった。

これは,良い質感だと思い写真を撮って,
後から見返すと,
あれ,これっぽっちだったかとがっかりするのである。
もちろんこれは,私の技量が届いていないということもあるけれども。

でもそういった,陰の部分さえも映すことの出来るカメラに出会った。

SigmaのDP2 merill

で,結局私が買ったのは,
シグマのカメラである。

恥ずかしながら最近まで,シグマはサードパーティのレンズメーカーだと思っていて,
まさかこんなに良いデジカメを作っているとは知らなかった。

直前まで,つい最近発売された,DP2 quatoroと悩んでいたのだけれど,
あっちはまだ実勢価格が10万程度するし,
一眼レフと同じ位サイズがあるようで,
候補から外れた。

このカメラの優れたところは,
レンズの緻密さもさることながら,
光を受け取る素子にあるようで,
一般のベイヤー方式と呼ばれる素子とは全く作りが違うのだということである。
ただ,欠点もあって,高感度にめっぽう弱い。

また,私は虫の写真もある程度撮っていきたいのだけど,
これは単焦点の中盤レンズを積んでいる。

完全に虫をとれる装備ではない。
RICHOのコンデジであるCXシリーズはマクロに強く,
多くの虫屋はこぞって買ったということだが,
そこをあえてRICHOのGRシリーズを買いに行くような無謀さがある。

この辺りのことは一応考えている。
DP2 はとんでもない解像度を持っているので,
遠くからの写真であっても,後で等倍すれば実用に足る。
ただ,今よりも対象物によれるに越したことは無いので,
純正のクローズアップレンズや,独自のマクロシステムを考えていきたい。

冒頭の写真は,
カメラが届いてすぐに,窓から見える建物を撮ったのだけど,
後から見返すと,その解像度にびっくりする。
多分,これは結構よい買い物。


2014年10月20日月曜日

昨晩は実に眠りが浅かった

こうやって眠れないことがたまにある。
我ながら,自分の仕事のことやキャリアパスなど,
悩みは尽きないので,
不安で夜も眠れないといった日があっても良いように思うのだが,
それはない。

自分の思考回路はよくわからないが,
悩むくらいならさっさと寝た方が生産的だと思っているのだろう。
そうやって,大事な提出物のある前日も,
ぐっすり眠れてしまうのが考えものだが。

私が眠れないときは,
たいてい興奮しすぎてしまっているときである。
幼少時代,遠足の前などはわくわくして眠れなかったものだが,
そのような感じで妄想しすぎて眠れなくなってしまう。
これから起こるであろう,成功体験を妄想し,
加えて首尾よくいった場合の不安点などを考えて少し不安になるという不思議な状態だ。
もしもその不安点の解消法も見つかると,
さらにその先の妄想をして,ますます興奮してしまう。
ちなみにこの興奮にはエロティックなものは全く含まれていない。

昨晩は,うまく行く場合行かない場合の分岐点の3層先まで行ってしまい,
しまいには頭を冷やすために起きて,
ピンボールをしてからもう一度寝床に付いた。
ハイスコアが出た。


こういうハイな状態になってしまったことの原因として,
中煎りのコーヒーを久しぶりに飲んだことを考えているのだけど,
下記の自然に対して熱い思いで書かれた本を読んでしまったことも原因かもしれない。


裏山の奇人



ニコニコ学会等での研究発表やその他業績から,
昆虫界隈では知らない人は居ないこの方だが,
本書には生い立ち,研究哲学,研究についてが書かれていて,とても面白かった。
特にどのような思いで,研究論文を書いているのかという点は,
個人の研究に対する思いが出ていてやはり面白い。
こういう人を見ると,やはりもっと私も多作になるべきかと考える。

それにしてもフィールドの生物学シリーズは,
これまで非常に個性的な研究者にスポットを当てていて,
本当に驚きである。
研究者はたいていよく教育された人たちなので,
みなそれぞれに節目節目で様々なことを 考察し,
それを記憶し,伝える文章能力を有していると思うけれども,
それにしてもとりわけ面白い人を集めてくる。

どれも結構,研究についてしっかりとデータを添えて書かれているけれど,
一般の人にも分かりやすく工夫されていて感心する。

著者はいずれも,30代前半の若手であるけれど,
私がその年齢に達したときに,このような濃密な物語を語ることが出来るのか,
頑張りたいところである。



2014年10月15日水曜日

入力の重要性

ここのところ,何かと忙しかったのだけれど,
どちらかと言えば調子がいい。
この理由を私は,継続的に知的な入力(読書)が出来たおかげだと思っている。

何かを読んでいると,結果的に読まない何かをする時間は減るのだけど,
何もしないでいたときの一定時間と,
読んだ後の一定時間では,
後者の方が頭がクリアーで,
よく思いつき,
生産性が上がる気がする。

やはり,読むということは,
知的生産の上では,基礎体力を付けるようなもので,
前々から多分何度も,そういうことを書いていると思うのだけど,
今日もそう思った。

最近は日本語の文章の読解はずいぶんとスピーディーに出来るようになって,
とても良い。
問題は英語の文章で,やはり,重要な点もくまなく読もうとすると,
スピードは遅くなってしまう。
以前よりは早くなっているけれど。


ピンボール

先日,1973年のピンボールを読んだ。


位置づけとしては,風の歌を聴けの続編的であるようで,
僕や鼠の話である。
これと,あと村上春樹のもう一作で三部作であるようだが,
ふと登場する直子や,
双子がビートルズのラバーソウルをかけようとするとひどく動揺する辺り,
ノルウェイの森との関連性を感じる。
ノルウェイの森は,ラバーソウル収録の一曲である。

それにしても,ピンボールに出てくる,スペイン語を大学で教えている人が,
自分の職業を評した言葉,
「砂漠に水を撒くような仕事です」
というのはなかなか言い得て妙であった。

学生が,最低限の労力で単位を取ろうと考えているところに,
いくら力を注ごうとも,砂漠に水をやるようなものかもしれない。

とはいえ,なぜ,知的好奇心の沸き起こらない,
砂漠のようになってしまったのかは,
教育者はよく考えねばならない。



2014年10月8日水曜日

修行はいつまでするべきか

桃栗三年柿八年
あるいは,石の上にも三年。

日本では古くから,何かを成し遂げる前には,
その前の地道な努力が奨励されてきた訳です。

これに対して,異論は無いのですが,
ここのところの疑問は,では一体何年修行したら,
実践に移るべきかということです。

上記のことわざが詠まれた時代とは,
システムが違うのに,
修業期間ばかりが延びていて,それが推奨されているように思います。
勧められるがままにやれば,年齢は30を過ぎます。

自らは,修行の身ですが,
これからの目的や期間,必要性をよく考えねばなりません。
もちろん修行すれば今以上の力がつくことは確かですが,
それが無いと本当にやっていけないのか,型稽古をやりすぎて,
型稽古だけの人間になってしまうのではないかという不安があります。

安易な修行が足りない論や,海外へ行っとけば良い論に流されては,
本当にやりたいことをないがしろにしてしまうと思いました。



2014年9月29日月曜日

論文投稿,来客,英語プレゼン

先週から今日にかけてずいぶん忙しかった。
先週は,懸案だった論文が英文校閲から帰ってきて無事投稿を完了した。
今回は,今までになく,discussionにこだわっている。
これまでのように,結果に基づく事実だけでなく,
結果から予想されるさまざまな事柄を,推論を含めて議論した。

これまでは出来なかったことだけれど,議論を限定的にすることや,
断定を回避する言い回し等を使って,
自分の主張をオーバーディスカッションにならないギリギリのところまで,
述べるということに挑戦できた。
まだまだである。


来客

今度はフィリピンからの来客があり,対応した。
2ヶ月日本に滞在するそうだが,感じのいい青年である。
期間中のお世話は私がする。
新しいいい結果を出してほしい。


英語のプレゼン

短時間ではあるが,頼まれて,シンポジウムで話すこととなった。
私は日本語のプレゼンのときには,ある程度ストーリーと,
キーワードを頭の中に埋めておいて,
原稿は作らないでその場で考えて発表するけれど,英語ではそれが出来ない。

が,いつまでも原稿を用意した英語プレゼンばかりしていては進歩が無いので,
今回は出来るだけその場で考えて話せるように練習した。

また,逐一発表内容をスライドに書き込めば良いものを,
後述のプレゼン本に傾倒した結果,
非常にビジュアルを重視した発表となった。

発表はのっけから,話したいことが飛んで大変だったが,
後半は経験でなんとか持ち直した。本当に大変であった。
発表の善し悪しは別にして,
一応のところ自分の課したハードルはギリギリで越えられた。
良かった。


気になっていたプレゼン本

前々から,気になっていたのだけど,
ついに読んだ。

結論から言えばとても良かった。
しかし,この本を,所謂プレゼンのテクニック本として読んではいけない。
内容のほとんどは,如何にプレゼンというものを考えるべきかという,
いわば哲学本である。
非常に良い。

哲学も良かったが,
私がもう一つ心に残ったのは,
プレゼンをする時
「いつでも最高の準備ができているとは限らない」という指摘である。
プレゼン本を見ると,たいてい,
少なくとも1ヶ月前には準備をして,練習を始めるべきだとか,
理想的にはそうだけれども,仕事を多数抱えている際には現実的でない記述がよくある。

その点,この本は,確か,
準備不足であっても,準備不足に見せない 振る舞い等が書かれていて,良い。

ちなみにこれは図書館で借りて読んだのだけど,
隣に

の原著である,the naked presenterがあって,
衝動借りした。

内容は,かなり,presentation zenと似かよるが,
こちらは姑息な小手先の技術にこだわらず,
裸一貫でプレゼンをやり抜く哲学が描かれていて,良かった。
英語の原著で,最初から最後まで読み切れた本というのは,
私にとって両手で数えられるほどしか無いが,
これは可能であった。文も平易で内容も面白い。
良い。

ということです。