ふくよかに肉のついた耳たぶを,福耳という。
これは,昔から富の象徴である。
一方,私の耳たぶは,それとはかけ離れてずいぶん貧相なのだ。
私はこのことを,物心ついた頃から少し気にしている。
巨万の富は望まないけれど,
私の耳たぶでは小金も望めないのではないか。
富の多い人は栄養状態が良いので,
実用上,一見必要に思えない耳たぶに肉のつくような人は,
金持ちであるという結果論からなっているのか,
もしくは,福耳を持つような人は,
概してふくよかで,
人相よく,
人当たりも良いから,
人が集まり,富が集まるのか,
どちらなのか分からないけれども,
少なくとも私の耳は貧相で,
今のところ富を得られそうな展望は無い。
論理的には,
耳たぶが貧相だけれども,巨万の富を得ているという人,
もしくは,福耳だけれども貧乏であるという人を見つけ出せば,
耳たぶと富との因果関係は否定できるのだけれど,
私は,産まれてこのかた出会ったことが無い。
もう一つ,私が巨万の富を得ることが出来ても,
これを否定することが出来るのだけれど,
もしかしたら,その頃には私の耳もふくよかになっているかもしれないし,
第一,やはり,今のところ,その展望は無い。
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