2011年10月19日水曜日

北京へ行ってきたよ 出発編

先日1週間程、研究発表のため北京へ行ってきました。
旅立つ前日まで昆虫標本の展示をやっていたりして、
とても忙しくてもうどうにかなりそうだったけど、乗り切りました。

旅立つ前日になっても、発表の為の英文とか旅行の為の荷物の詰め作業が全然終わらなくてとても困ったのだけれど、何とか出発にこぎ着けました。


海外は初めてではないけれど、北京に向かうバスや飛行機の中でいろいろ考えました。
外国を意味する言葉が「海外」という事から、日本が島国である事を再認識したり
機内食のチキンうどんくそまずいなと心の中でつぶやいたり
窓の外の陸地がどこの国なのか妄想しました。




中国の土地を踏む
ガラス張りの空港の外に砂埃みたいなものが舞っていて視界が悪いのが印象的でした。
この中にヤバい化学物質とか、放射線物質とか、中国4千年の歴史だとかが詰まっていると想像したら、思わずニヤニヤしてしまいました。
胃腸の弱い私は確実に逝くだろうと覚悟を決めました。

空港の天井


良心の塊みたいな私は、当然のようにすっと入国を突破し
法律的にも中国の土地へ足を踏み入れました。




北京へ
北京国際空港から北京の市内まではタクシーで移動しました。
タクシー 車種はワーゲンとかヒュンダイが多い


道中ポプラによく似た木が沢山植わっていて、どれも葉は砂で汚れていました。
その他の木々も日本で見られるものとよく似ていて、景色は日本の片田舎とてもよく似ていたと思います。

タクシーで市街までは100元くらい (約1000円) でした。
運転手さんは映画のTaxiみたいに車と車をすり抜けるように運転していって
思わずニヤニヤしてしまいました。



この日僕はずっとニヤニヤしていました。
見るもの全てが新しいのと同時に、今まで頭の中でしか体験した事の無かった中国がそこにあったからです。


次回、北京に行ってきたよ 学会参加編 に続きます。

2011年10月8日土曜日

標本展示、思い出すこの感じ(韻踏んでる)

久しぶりに、7~8年ぶりに、昆虫標本の展示をした。
小・中学生の時、自分の担当じゃないのに、
ずっと自分の標本の前に居て、解説していたときの事を思い出した。



自分はただいろいろな虫をコレクションするだけじゃなくて、
すごく綺麗な蛾とか、珍しい虫とかを見せびらかしたり、
擬態とか、面白い虫の行動とかを伝えたりとかそういう事が楽しかったんだなって今になって気付いた。



今回展示した標本には、自分が小学生の時に採ったようなとても古いものもあって、当時はすごく満足していたんだけど、今となるともっとクオリティを高めないと恥ずかしいなと思う。


具体的には...

----込み入った話---
確かに珍しい種の標本はいくつもあるんだけど、その珍しさを際立たせる為には、それほど珍しくない近縁の種の標本とかもあるとより標本箱全体の質が高まると思った。
展翅の技術については、小学校の時の標本をまだ並べられるという事からも分かる通り、それなりのレベルのよう。これからも標本を作るからには(虫を殺すからには)もてる限りの技量を尽くして、綺麗な状態を永劫保てるようにするというこれまで続けてきたポリシーを守る。
標本のラベルについては、これまでのものでも十分必要な情報は備えているが、やはりきちんとした機関に身を置く人間としては、英語できちんとタイプしたものを使った方がより格調高く仕上げる事が出来ると思う。
またこれは標本の作製技術とは直接関係がないが、ある程度分類群が統一された標本箱を作る為に、採集の際に分類を意識すると尚良いし、その為に昆虫の分類学をもっと勉強せねばならない。
-------------

とか。



また今後は是非、ミクロレピの展翅に挑戦したいと思う。

2011年10月7日金曜日

ロングマンと呼ばれて...

かっこいいとかスレンダーだとか、頭がいいとか、
太ってるとか、色白とか、
人を形容出来る言葉はこの世に沢山ある。

しかしながら、数多の人あれど「長い」
と形容されるのは私くらいなものだろう。


では「長い人」について解説する。
ちなみに長い人は背の高い人の一部である。
長い人は背の高い人の部分集合である。
つまりこう書く事が出来る。

長い人 ⊆ 背の高い人



長い人に対する考察
背が高く、極端に痩せている場合、
「背が高いね。」というよりも
「おっ...。長いね。」という方がしっくり来るのだろう。



遠くからある人物Aを見た時、
Aの背が十分に高く、また体格も十分に良い場合、
Aは体格のいい人(かっこいい)人として認識されるのだ(モテる)。

一方、Aの背が十分に高く、極端に痩せている場合、
Aは遠くからだと小柄な人として認識される。
しかし、近くまで寄ると、
(.....。お、背高いぜ。長いぜ、しかし。)
という風になるのである。



まぁ、このようにこれまでは「長い人」と言われても何ら良い事はなかった訳であるが、今日中国人から新しい解釈を与えられた。


長い人 = long man


の発音は、中国語の


マン = 浪漫


とそっくりらしい。
だから、長い人というのはロマンチストなんだと。

ハッハー。そういう事だったのか。




理解。


---- 追記 11/10/07, 0:51----
かなり疲れているんだと思います。

2011年10月4日火曜日

自分が思うのとは別の方向に、しかし良い方向に、事が加速して進んでいる


講演会の依頼とか、中〜大学生の合同研究発表会の準備依頼とかが舞い込んだ。
ふとしたところで、自分が昔書いた研究の報告書が目に留まってそういうお声がかかったらしい。
そういうのは普段話せない人たちと話せるから、どちらかと言えば良い知らせだ。

自分がやりたいことを成し遂げる為に、日々精進している訳だけど、
自分が特に望んでいる訳ではない (ネガティブな意味は無くて)、
それとはまた別の物事が連鎖して自分に訪れている。

こういうチャンスの連鎖は無駄にしたくないし、
最終的には何らかの形で自分が本当にやりたい仕事にも便益をもたらすんじゃないかと思ってる。


なんか辛いやつ貰う


麻辣牛肉干
まぁ、見るからに辛そうな訳だが。

中国四川省のお土産だとかなんとか。
中国人が辛いって言ってくれたから、
本当に辛いんだろうなと思って食べたけど、




本当に辛かったよ。

2011年10月2日日曜日

高校生と話したり、美容院へ行ったり

DK (男子高校生) 話す

いま、高校生の研究指導をしている。
どうも研究に行き詰まっているというか、上手く始められないらしい。

私も中学時代や高校時代、科学部だったから、
どういう風に研究したら良いか分からなかったりだとか
目的の現象を捉える為に、どのように現象を分解して分析すれば良いか分からなくて、
全くどうすれば良いか分からないという気持ちは痛い程分かる。

結局3時間程、

・実験目的は何か
・実験の設計は仮説の検証にあっているか
・結果から得られる事実は何か

ディスカッションした。
明日から何をすれば良いか分かったと、最後は笑顔で帰って行った。

注意せねば行けないのは、初学者のそういう


実験楽しそう、わくわく


という気持ちは、簡単に消える。
怠惰というのは非常に手強い。という事だ。
彼はまだ自分で手を動かして実験をして、結果を得るという禁断の果実を手にしていない。まだジャンキーではない。


ジャンキーという言い方は悪いが、一応私が給料をもらってやろうとしている事は、未来の研究者育成 (ジャンキー養成) なので頑張って、このわくわくをよいしょよいしょさせないといけない。


髪切る

来週、中国へ行くので、その前に髪を切った。
全体的に軽くしたり、前髪を切ってもらった。

美容師さん曰く、



中国か、前髪パッツンじゃないとなめられちゃうよ。



意味不明。


結局、押しに負け、パッツンになった。
でこギリギリまでやりたかったらしいが、
最後の一線は死守した。



中国って恐いところなんですね。



  • 彭 飛
  • 発売日 : 2001/04
  • 出版社/メーカー : DHC

心地よい達成感、からの

昨日の夕方から、今日の朝3時くらいまで展示会に向けた標本の整理をしていた。


こういう標本の整理は久しぶりで
十数年前の標本を観て、


これは11歳の頃とった虫だ。 とか
これは中学の時とった。 とか
この虫の事を卒業文集に書いた。とか


そういえばそんな昔から、むしむしほざいていたのか、俺は
となんだか不思議な気持ちになった。


自分は結局、大きなドイツ箱6箱分ほどの虫を、
針を抜き差ししながら配列していった。

おかげで指先がとても痛い

この作業、これまでは一人でしかやったことがなかったが、
今回初めて、色々な人と一緒にやった。

この共同作業により明らかになったことは、



自分の配列のスピード、整列テクニックは驚異的らしい。
(まるでpttの複数選択、中央揃えと見紛うほどらしい)


という事だ。
これは是非、履歴書に書きたい。


と、日記を書いたのだが、
今日はまだ始まったばかりだ。

13時からのアポイントメントとか、
18時から美容院に行きたかったりだとか、

やりたいこと目白押しだ。

そのためにも、寝る。

2011年10月1日土曜日

才能うんぬんの前に、「やらない」という選択をしてしまう事はとても残念な事だ

ここまで生きてくると、
才能に恵まれた人だとか、
すごく努力を積み重ねた人だとか、
様々な力量を持った人に出会う。


とはいえ最近思うのは、ごく普通に生きて行く上で使う多くスキルは、
巧拙の差はあれど、多くの場合やれば出来るんではないかと思う。


物理的な制約 (時間とか) で出来なかったり、
いっそ自分は別の事に力を注いで、やれる人にやってもらったり (アウトソーシング的な) するので、だんだん専門性というやつが出てきたりする。
まぁ、そこまで考えて「やらない」という事を選択するのは理解できる。


何かを選択する代わりに、何かを「やらない」事で選択した方を磨くというんでもない、
なんというか単に無気力なだけなんじゃないかというような雰囲気の中にいると、
なんだか自分も無気力の渦の中に飲み込まれて行ってしまいそうで恐い。


やってみたら面白いかもしれないし、実は天才的な才能があるかもしれないのに、その前に、「やらない」という選択をしてしまう事はとても残念な事だと思う。


※上手く言い得ていないので、後日加筆する。