テクノロジーの進歩によって,短縮あるいは,全くもって費やす必要がなくなって,
さまざまな余暇や思索に費やすことのできる時間は増えたように思います。
また,情報科学の進歩によって,
それこそ地球の裏側の出来事であっても,スピーディに情報にアクセスできるようになりました。
最近では,興味のありそうな情報をご丁寧に集めてくれるようなサービスもあって,
アクセスできる技能の有無というのは別の大きな問題になりつつありますが,
それを有する場合には,敢えて能動的にならずとも,
勝手に情報が得られる世の中になったのです。
私は,創造性というのは,
既知と未知とを区別することだと思います。
未知を知るには既知を知る必要がありますので,
即ち,創造性とは,地図に記された道を隅々まで踏破する中で,
新しい道を見つけるようなものです。
地図の空白地帯を目指すやり方もあれば,
道すがら未踏の地を見つけることもあるかもしれません。
しかし,何れにせよ,これを見つけるには,
大変長い,無為あるいは有為の時を過ごさねばならなりません。
創造性のには,知を知るための多くの参照と,
それを理解し咀嚼する時間が必要です。
これら,創造性の必須材料は,
テクノロジーの進歩によって,より効率的に,我々に提供されるようになったと思いますが,
現代人はより創造的になったのでしょうか。
処理区と対象区というような,
基本的な検証手法に乗っ取ることは出来ないのですが,
私自身を自己分析すると,
テクノロジーによって一層,非創造的で,愚かで,自分の考えなしの馬鹿になっているように思うのです。
私は,いつも,新聞を読み,お気に入りのブログ,論評サイトなどに目を通して,
世の中のことをわかった気になるのです。
また,疑問を感じたら,すぐに検索し,考えずに答えに達してしまうのです。
そうやって,自分の思索で得たのではない,
借り物の見解に,自分が到達したかのような気分に浸って,
知的な欲求を満たしているのです。
これは,厄介。
私がこういった状態になっているのは,
単に私とテクノロジーとの相性が悪いのかもしれません。
あるいはたくさんの情報を処理する能力に欠けるだけかもしれません。
しかし,テクノロジーの進歩は創造性に味方するはずなのに,
逆の働きをするというのは,全くもって不本意。
お付き合いの仕方を変えてみましょう。
力不足。
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