最近、各方面から日本語がしゃべれなくなっているんじゃないかと指摘を受ける。
それに対する考察。
具体的な症例は、
1. 言葉に詰まる。
2. 頭の中で考えている言葉と違う言葉を発している。
3. 話し言葉に受身形を多用する。
原因について
1, 2 に関しては、他の言語とのスイッチが上手くいってないのではとアドバイスをもらったけど、自分そんなに英語が流暢に話せるわけじゃないし、理由は謎。
3 は単に論文執筆が原因なのではと思う。英語の科学論文では手法を記述する際に、受身形で表す事がままある。
(主語を用いた試薬や供試品、分析手法とする事で、主観性を排除するのだとかなんとか)
ともかく、母国語くらいはきちんと話したいものです。
ラーメン食べた
美味い。でも食べて、ものの30分でお腹壊した。
2012年2月9日木曜日
2012年2月7日火曜日
学問のすゝめを読んで
学問のすゝめ第1章の有名な一節
「天は人の上に人を造らずと言えり」
これは日本人ならだれでも知っていると思うけど、何を言わんとしているのか理解していなかった。
これにはさらに続く節があって、まとめて要約すると、
世の中に貧乏な人や裕福な人、偉い人や偉く無い人が居るけれども、そのような差は天が決めたんじゃなくて、学問を収めたのかそうでないのかによるんですよ。
という内容。
今まで漠然と人類皆平等なのです的なありきたりな事を言っていると思っていたんだけど、
実際には、世の中は平等でなんかなくて、人の上に立てるかどうかは学問の有無で決まりますよというような、始め考えていたのとは真逆で驚いたのでした。
だからカイジのアニメで出てきた
「天は人の上に人を造らず 人の下にも人を造らず。この御託宣の意味は 要するに人間の浮き沈みはチャンス次第。バカでもクズでも チャンスを生かせば勝者」
は最初全然意味違うだろと思ったけど、チャンスの部分を学問に置き換えたらあながち間違いじゃないじゃって思いました。
2012年2月6日月曜日
どう見ても飯キョ光です。ありがとうございました。
これが思いの他クセになる味で、当時からそれを「メシキョヒカリ」と呼び、また食べたいと思っていたのでした。
よく日本の西から南にかけてのアジアでは、突如、全く関係のない日本語が商品などに登場するという事が侭あるので、「メシキョヒカリ」という変わった名前にも抵抗を感じなかったのです。
先日、中国の方と話している時にこの飯キョ光の事を聞いたら大爆笑されてしまいました。よくよく話を聞くと、私がキョだと思っていたのは、「扫(中国では掃に当たる漢字)」で、
飯扫光はごはんがすぐに無くなっちゃう(程美味い)というようなニュアンスみたいです。
そりゃ、本気でメシキョヒカリなんて商品が有るわけ無いですよね。
結局、この飯扫光が恋しくなって、瓶詰め3本分購入しました。
2012年2月5日日曜日
天ぷら食べた
一人暮らしをしていると、どうしても揚げ物系は後片付けが面倒だからやらない。
でも、コロッケとかカツとかフライ系はお弁当とか意外と食べる機会がある。
天ぷらは滅多に食べない。
天ぷらが食べたい。
という事で割烹料理屋で天ぷらを食べた。
美味であった。
おろしと薬味の生姜をつゆに入れて、これまた美味であった。
2012年2月4日土曜日
ジーンズを買って、悪夢を見た。昔のことを思い出した。
先日、A. P. C. のジーンズを買った。
厚い生地で作られていて、インディゴ染めで、洗わず自分色に染めていくのが好きな人には好評なのだそうだ。
自分色に穿き込んでいくという魅力もさることながら、
履いたときのプロポーションを重視してデザインされたテーパード調のフォルムが、
イレギュラーな体型(極めて細い)の私にはきっと合うだろうと読んでいたのだ。
もともとイレギュラーな体型故に、レギュラージーンズを穿くと膝下が中途半端にたるんで非常にみっともなかったのだ。故に少しタイト目のスキニージーンズを好んで穿き、細い体型を白日の下にさらしてきた。
ジャン・トゥイトゥーさん(A. P. C. のデザイナー)なら
トゥイトゥーさんならばこの奇異な体型をカバーしてくれるジーンズ作っているに違いない。ということで試着を重ね、
結局、New standard 28 inch を購入した。
結果、細さが際立たなくて、とてもよい。
高いけどよい買い物をしたよ。
いい感じに色を落として、いい感じに着こなしたいよ。
こんな感じに買ったのが約3週間前。
悪夢
そして、一昨日悪夢を観た。
母とは同居していないのだが、夢で母がにこやかに私のジーンズを洗濯しているのだ。
夢の中の私は、「あー。まぁ、洗ったら洗ったでそれは味が出ていいかもね。でも、洗うにしてももう少し穿いてからにしたかったかな。」とか考えていた。
やけにリアルだった。
目が覚めて、いつも通りジーンズがハンガーにかかっているのを見て、ほっとしたよ。
昔のこと
それで中学のときに、母とジーンズ洗う洗わない論争を繰り広げたことを思い出した。
いい感じに色褪せさせたい派と
汚いから洗わせたい派に分かれた。
結局、勝負は不在時に母が強行洗濯を行って、私が完敗した。
苦し紛れに
「ウィスキー好きだったら、時が育む味の尊さが分かるだろう。」
といった私に対し、
母は
「ウィスキーの芳醇な香りと、薄汚れたジーンズを一緒にするな。」
と言ったのであった。
やれやれ。
そのような感じで昔のことを思い出したのでした。
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